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仏教の実践的教え6

おはようございます。

仏教を趣味で学んでいる理系大学生です。

仏教怒り欲、妬みといった
煩悩という本能のようなもの
人間を苦しませると教えますが

その煩悩による苦しみを完全に
乗り越えた人お釈迦さまだそうです。

自分の眺めると自然と人の悪口
言ってしまう心を認識すると
本当にお釈迦さまはいたのか?
と僕は疑ってしまいます...

2600年経っても
僕という1人のその辺にいる男性の
動かしているので

それだけ影響力を持つ仏教を教えた
お釈迦さまの存在
あり得るのかなとも思います。

僕は先ほど悪口という単語を使いましたが
悪口を言わないって難しいですよね。

仮に死ぬまで悪口を絶対言うなと指示されても
悪口の定義によってはそれは無理
だなと思います。

悪口の定義を
人を不快にさせる言動
と簡単に定義するとしたら

悪口を言わないのは無理ですよね。

自分が言われてもそこまで
反応しないかなって言葉でも
誰かにとっては傷つく言葉というのは
探せばいくらでも見つかると思うからです。

口で言わないとしても
心の中で思うなと言ったらなおさら難しいです
妬みそねみの煩悩があるからです。

なので、忍辱(忍耐)するしかない
ということです。

その忍耐は自分の心を
清らかにする可能性が高いと思うので
続けるメリットはあるんじゃないかなと
思います。

ふと心の中で思ってはいけない発想が
浮かんできても
自分が煩悩具足だなと思って阿弥陀仏に
救ってもらいましょう。

悪口を言わないようにしていても
心の中での悪口という意業によって
やがて口から出てしまうもの
仏教では教えられています。

今は監視社会だとも思います
SNSでどのような発信をするかを
常に誰かに見られています

外に出て誰かとの会話さえも
第三者に聞かれています
正直生きづらいですが

仏教的に見ればもはやその状況は
生きてるだけで修行になっているとも
解釈できるのかなと思います。

だから、僕は修行していきます
まぁどうせ悪口言ってしまうんですが...

貴重な時間を使って
読んでいただき
ありがとうございました!

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