『「いき」の構造』第2章「「いき」の外延的構造」レジュメ(以前読書会で使用したもの)
(『「いき」の構造』は、青空文庫でも読めます。)
○現代における九鬼の思想
田中久文によれば、九鬼の思想が注目されたタイミングは今まで二度あったという。
バブル経済の時代に同様に注目されたのは、フランスのポストモダン思想だった。構造主義からポスト構造主義に至る流れを概説した浅田彰『構造と力』がベストセラーとなり、浅田の「スキゾ」「パラノ」という語は流行語大賞にもなった。一つのものにこだわらず「逃走」を企てるあり方=「スキゾ」は、戦後の政治的問題を中心とした暗さを(ある意味で)かなぐり捨てるようなものであり、それは、戦争を知らない世代が経済成長を遂げた都市で生きることを正当化するような考え方でもあった。
現在、ポストモダン思想はやはり人気を失っていると言っていいだろう。これに対して台頭してきたのが分析哲学だった。分析哲学の流行は、科学の発展に基づくエビデンスの権威化や、SNS・メールの発展に由来する(哲学書的なコンテクストを共有していない共同体での)間共同体的な議論の簡易化も関係しているように思われる。しかし、それよりも、ポストモダン思想への落胆が大きかったようにも思える。科学者ソーカルがポストモダン思想誌にデタラメな数式からなる論文をあえて提出し載せられた後に、ポストモダン思想の「無内容さ」を告発した1995年のソーカル事件は、その頃には多くの思想家がこの世を去ってしまっていたポストモダン思想に大きな打撃を与え、そこへの十分な応答もできなかった。ポストモダン思想の「無責任さ」がそこで露呈してしまった。
ポストモダン思想=「無責任」な思想。千葉雅也は、こうした見解に理解を押しとどめてしまうことを批判し、この思想の企図を以下のようにまとめる。
この指摘はもしかしたら同じ時代に注目された九鬼の思想についても当たるものなのではないか。田中の引用の二段落目では、九鬼が天災について論じていたことを指摘していた。天災もまた一つの社会状態を永続化する人間の欲望を打ち砕くものである。それは、(少なくとも現在の科学では)予測しきることのできない偶然の出来事である。そのような偶然と出くわしたとき、我々は「準安定的な」状態を生きるほかない。「いき」もまた、二者の出会いとして偶然的である。
こうした偶然の全てを、科学が語り尽くしてしまったとしよう。そこでは自然科学は全てを必然性において捉えている。しかし、それでもなお、そうした必然性のうちに偶然があると九鬼は論じる。「原始偶然」である。我々が結局のところ偶然に貫かれているのだ、と指摘することで九鬼は抽象的な思考から出会いの驚きを、情熱を守ろうとしていた。「いき」は80年代的な「諦め」の態度のみではない。そこに「媚態」の情熱を見るとともに、「意気地」「諦め」を視野に入れる、この態度の美妙さを「偶然性」の思考が支えていると言えるだろう。
思考としての「偶然性」と態度としての「いき」を、すべてが予測可能なもの、永続的なものであることに向かおうとする社会の風潮に対して(社会から外傷的経験を根絶やしにしようとする(強い)「ポリティカルコレクトネス」もこの一部だろう*2 )、人間的経験・実存の側面から堰を立てる思考だということもできるだろう*3 。
○本文解説
・第一段落
「いき」の構造を解明するにあたって、前章では、
①「意識現象の名の下に成立する存在様態としての「いき」を会得し」
②「客観的表現をとった存在様態としての「いき」の理解に進まねばならぬ」と述べられていた。ここではそれが
①「意味内容を形成する徴標を内包的に識別」
②「類似の諸意味とこの意味との区別を外延的に明らかにしてこの意味に明晰を与える」と言い換えられている*4。
この言い換えを考えるために、まず「内包」「外延」の語を確認しよう。内包とは、ある概念についてそれが持つ性質を言う時に用いる語である。一方外延とは、ある概念についてその概念が適用されるものについて言う時に用いる語である。例えば「芸術」の内包的定義、外延的定義の一例を見てみよう*5。
内包的定義の一例……芸術家の抱いた気持ちを観賞者に対して感染させるもの(トルストイ『芸術とはなにか』)
外延的定義の一例……「モナ・リザ」と「泉」と「ノクターン」と「吾輩は猫である」と……
今ここで九鬼が述べている「内包的に識別」と言うのもここから理解できるだろう。つまり「いき」と言う概念が持つ性質について考えることがそれである。一方「外延的に明らかにする」の方は、類似の意味を持つ概念を「いき」と「上品」と「派手」と…と言うように並べていき、その上でそれを類似の意味からなる図形の中で位置付けていく過程のことを言うのだろう。
ここから言い換えが理解できる。意識は、事物の中のあるありよう(そのようにしてあるという「存在様態」)を覚知し「いき」と発言するはずである。ここで覚知されている存在様態を、性質として取り出すのが内包的識別だ。一方、「いき」なものに直接出会っていないときでも我々は「いき」と言う概念がどういうものかを類似概念との距離から説明できる(「ハンサム」「イケメン」「美形」についてそれぞれがどう違うか具体的に「ハンサム」なものを考えずとも理屈を立てることはできるだろう)。そうした説明は客観的表現としての「いき」を説明するものである。
・第二段落
九鬼は「いき」の第一の徴標を「媚態」という*6。「いき」の意味の一つには異性間の尋常ならざる関係があるが、媚態はその関係のための前提である。
媚態は「一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である」と九鬼は言う。この文について二点考えてみよう。まず「可能的関係」という語である。「可能的」と対になるのは「現実的」「必然的」という語である。媚態の時点においては、二者の関係はまだ「現実的」でも「必然的」でもない。まだそうなってもいないし、これからそうなるのかもわからない、という状態がこの関係の在りようの性質である*7。
次に「異性」という語である。同性愛と言うありようを知っている我々からすればこの語に抵抗を覚えるかもしれない。あるいは同性愛において「いき」はないのだろうか?
この点について、九鬼に従うならば日本独自の感性であるはずの「いき」がフランスの同性愛においても存在していると言うことができるだろう。フーコーは、自身が同性愛者であることを公表しつつ、インタビューにおいて以下のように述べている*8。
日本の男色のうちに同様の思想があるかどうか見つけることはできなかったのだが、しかしもしあるにしてもなお、九鬼が「異性」と言う語を用いたことには一定の意義があると考えられる。
二人の男を「異性」として理解することのできない人は「性」と言う語を狭く捉えすぎている。「性」には「さが」と読むときの意味が、「性善説」「性悪説」と言う時の意味がある*9。一つの個体を貫く個々別の性という意味で二人の男を異性と捉えることができる。このことは何も先の同性愛の観点から九鬼を批判しようとした人の揚げ足をとるために言ったのではない。そうした性の違いこそが、同一性のみでは考えられない出会いという事態を尊重する九鬼にとっては本質的と考えられる。(これに関して、下で「二元性」に基づく九鬼の偶然論をまとめた)
媚態=異性とのまだそうなってもいないし、これからそうなるのかもわからないありよう、が生み出すのが「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」といった「二元的関係を基礎とする緊張」である。二元性は異性が完全なる合同を遂げた時には解消されてしまう。するとこれらの性格は「倦怠」「絶望」「嫌悪」に変わると九鬼は言う*10。それゆえ「歓楽」のためには、可能性を可能性として擁護することが重要である。
ただ、媚態は二者の距離がゼロになった時には失われてしまうもののゼロになるまでは近づくほどに強まっていくものである。九鬼はこのことを「動的可能性として可能」と表現している。
この「動的可能性」という語について、松本直樹は、アリストテレスの議論からの影響を指摘している。アリストテレスは、運動について「可能的なものの、可能的なものとしての終極完成態(エンテレケイア)が運動である」と論じる。ここでの「可能的なものの終局完成態」という語は、何を指しているのだろうか。それは運動の終局した状態ではあり得ない。
松本は「材木が木箱になる」例を出す。アリストテレスの議論では、普通考えるように材木が最初から木箱になる可能性がありそれが起きるのではない。
材木が材木である限りでは木箱になる可能性は「眠っている」。それは、制作の過程において、可能的なものとして活性化する。「運動」がここで起きているということを考えれば、「可能的なものの終局完成態」はこのようにして、もともと潜在的だった、ある出来事が「可能的なものとして活性化する」事態を指しているといえよう。
松本によれば、「動的」という語において九鬼が考えているのもこのアリストテレス的な「運動」の事態である。すなわち「動的可能性として可能」という語が指し示しているのは、「二者の距離が縮まるという運動が可能性として活性化している、というあり様として可能」ということであると言える(活性化していない状態とは、もはや合一してしまった状態と最初から縮まる事などあり得ない可能性の二つを指していよう)。
・第三段落
「いき」の第二の徴標は「意気地」である。これは江戸文化の道徳的理想、江戸っ子の気概であるとも言われる。「命を惜しまないさま」「寒中でも裸足でいるさま」なども引かれながら、いま異性との関係について論じる段では「異性に対して一種の反抗を示す強みを持った意識」とこれがまとめられている。このことも、先に見たように「異性」を生物学的な性に限らずに理解すれば理解できよう。命を惜しんで火に対して遠ざかる時、私は異性であるような世界に対して従属してしまっている。こうした態度が「意気地なし」なのである。
「いき」のうちにある意気地は武士道とも結び付けられる*11。それは通常欲求の対象となるような金や長寿などを退けるような、強い理想を貫く態度のことである。こうした態度が、合一するという目標に達することを退けてしまうことを九鬼は「媚態が霊化されている」と表現している。
・第四段落
「いき」の第三の徴標は「諦め」である。それは執着を運命に対する知見に基づいて離脱するあり方である*12。そうした知見(「解脱」)は九鬼によれば、何度も恋を経験することによって獲得されるものである。それは真心が裏切られる経験であり、それはもはやそうした目的に目をくれなくなる心であり、それは煩悩の体験に基づく理解の経験であり、全てが細い縁によるものでしかないという運命の経験である。そうした経験が、今経験される媚態に対して、懐疑と厭世の情を与えているのが「諦め」である。
経験が作用するもののため、若い人よりも年増の人の方が「いき」であることは多い。「いき」はそうした人々がこの世=「苦界」で、すっきりと垢抜した心を持つ時に得るものである。そうした知見は個人の経験ではなく社会の中で継承されたものであってもいいだろう。仏教的世界観、宗教的人生観もまたこの「諦め」に関係する。
・第五段落
「いき」においては「媚態」がその基調を構成し、「意気地」「諦め」がその民族的歴史的色彩を規定している。ここにはそれぞれ、武士道と仏教とが関係していたのだった。
「媚態」と「意気地」「諦め」との関係について、九鬼はそれは相容れないものではないという。「媚態」は先に見たように「動的可能性としての可能性」であったから、そこでは合一がなされてはならない。「意気地」という態度は、動的可能性を動的可能性として保とうとする態度である。それは自由の擁護とも言えるだろう。
「諦め」は「媚態」が存在するがゆえに現れるものである。先に見たように、「諦め」を人は恋の経験から、すなわち「媚態」の経験から得るのであった。「媚態と「諦め」との結合は、自由への帰依が運命によって強要され、可能性の措定が必然性によって規定されたことを意味している*13。
「可能性の措定が必然性によって規定された」とは、「媚態」が起きるべくしておきたのだ、私が恋をすることが運命であったのだ、として理解されることを言う。「媚態」は「意気地」による維持のほかに、「諦め」という運命を視野に入れる事態を経ることによって肯定的なもの、確かにそこで出会ったもの、として理解され、初めて完成させられる。
「いき」はもはやそこではそれまでの現実が無視されてしまうような出来事であり、そこで起きることもまた、自律的なもの、媚態以外の何にもならないものだ。恋愛のために生き、恋愛に執着するようなあり方は、恋愛が現実を侵食してしまう限りで、また、最期まで共にあることのできない限りで*14、「いき」の存在に悖る。「「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。」そうした「いき」の色彩は、九鬼によれば、薔薇色ではなく白茶色である。
・第六段落
「いき」を「わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質料因たる媚態が自己の存在実現を完成したものである」とまとめている。
形相因と質料因はアリストテレスの述語だ。ある事物についてそれができている「素材」のことを質料という。例えば、机の質料は木である。しかし、すべての木が机なわけでは当然ない、木を机にするためには、職人が「机」というものを知っていてその性質を与えなければならない。ここで与えるものが「形相」である。
「いき」は二者間の関係におけるありようをいうのだから「媚態」を素材とすることは間違いないだろう。しかし、それだけでは「いき」とはならない。「いき」を完成させるために、我々が、媚態の感情に与えるのが「意気地」「諦め」であると、上のまとめは理解できる。
「いき」がこのようにして「媚態」の完成であることは、「いき」の魅力が至上のものであることを説明するものである。「いき」を最後に「垢抜して、張のある、色っぽさ」と九鬼は定義する。
○『「いき」の構造』と九鬼はつ
九鬼周造の母親九鬼はつは、岡倉覚三(天心)と愛人関係にあった。二人の関係は周造にも大きく影響した。少年時代ははつと別居する父隆一との家を周造は行き来し、一時は隆一がはつを覚三と引き離そうとしたために京都への転居も母親と共にすることになった。また、はつが覚三との不倫を公にされたのち、はつは隆一と離縁することとなる。そのことを引き金に、はつは精神疾患のために入院し、そのまま帰らぬ人となってしまった。
福田和也「西田の虚、九鬼の無」は、この出来事と『「いき」の構造』との関係を探っている。第五段落で「いき」に対して恋愛を批判する時、九鬼の念頭には、恋愛によって滅茶苦茶になってしまった自分の家庭のことが置かれていただろう。
しかし福田によれば、九鬼は「もし、はつと覚三の関係が「いき」であったら」という生易しい意識のために『「いき」の構造』を書いたのではない。
九鬼はこの事実すら事実として、運命として受け入れるためにこれを書いたのだ。九鬼はつと岡倉覚三のスキャンダルは、九鬼に大きな悲しみとともに、確かに知見を生み出したのだ。そしてそれは「運命」を受け入れる「諦め」として結実することになる。
九鬼は「岡倉覚三氏の思い出」においてこう書いている。
○「二元性」について
九鬼の主著『偶然性の問題』および、それをまとめた「偶然の諸相」において、展開される偶然性の議論もまた「二元性」を根拠として展開されるものである。注10でも指摘したことだが、九鬼の偶然論は、九鬼の「いき」の議論を形而上学的に支えるものであった。「諦め」に至ることを哲学的に理論化したものが「原始偶然」である*16。
九鬼による「茶柱」の例を見てみよう。九鬼は、茶の葉は茶碗に出てきてもやがて沈んでしまうもののために、我々にとって「沈む」ということは煎茶という概念の本質的徴標として構成されるという。その上で「煎茶の茶葉は沈むものである」という「我」に張り付いている日常性への関心が、「茶柱」という「汝」に出会うという事態が偶然である。こうした偶然のあるところ、「我」と「汝」のあるところに具体的現実があるという*18。
偶然として出会われる「汝」との遭遇は、「なぜ汝と出会ったのだろうか」という原因への問いへと移行される。「茶柱」に関して言えば、その原因は、茶の茎の両端の重さの不均衡に求められる。一般概念対個物という対で立てられる先の偶然を九鬼は「定言的偶然」といい、その原因について求めるときに現れてくる偶然を「仮説的偶然」という。
仮説的偶然とは、複数の因果系列が出会うところにあると九鬼は言う。九鬼による「樹木を植えるために穴を掘っていると地中から宝が出て来た」例。
九鬼は、偶然と見えるものも結局は一つの原因によって支配されていると言う「自然科学的決定論」を批判している。その批判で現れるのが「原始偶然」である。図でこれを見る*19。
A、Bの出会いはそれぞれの因果系列(A’’→A’→A、B’’→B’→B)の出会いである(仮説的偶然)。A’’、B’’は、共通の原因sによって起こされたものかもしれない。しかし、そのsがそれ自体、偶然であった(MとNとの定言的偶然、M’’→M’→MとN’’→N’→Nとの出会いとしての仮説的偶然)という出会いであると考えられよう。また、M’’、N””の共通の原因はtかもしれない(以下同様)。こうして遡っていったときに、それ自体は出会いとして説明できないようなxがあるだろう。九鬼はこれが「原始偶然」であると言う*20。
原始偶然は「形而上学的領域」の偶然であるとも説明されるものであり*21、我々の預かり知ることのできないものである。そこから全ての出来事が必然的に起こるようなこのxについては、しかし、最初に、xでなくてもいいのに(図のy,zであってもいいのに)、(まだ何もないのだから)全くの根拠もなしにxが選ばれたことが、偶然なのである*22。
九鬼によれば、この形而上学的次元に立ったときに、「我」と「汝」の出会いが偶然であったことが最終的に確認される*23。しかし、原始偶然に原始偶然として遭遇することができるのは、そもそも「我」が「汝」と邂逅する事態があったからだった*24。「一離説肢が現実として眼前に措定された時、離説的偶然としての原始偶然が一切の必然の殻を破ってほとばしり出るのである*25」
『偶然性の問題』の運命についての議論をみよう。なぜ「我」と「汝」との邂逅があったのかという問いが、最終的には離説的偶然の性格を持つ「原始偶然」すなわち「そうでなくてもいいのにそうであった」という偶然に回収されてしまう、この「弱さ」「頼りなさ」とでも言えようものは、実存にとって驚異の感情を抱かせるとともに、それが「運命」であることを知らせるものである*26。それと同時に、原始偶然xを与えた、形而上学的絶対者と有限者としての我々とが結ばれることになる。図は以上の議論などを通じ九鬼が最後に提出するもの*27。
九鬼は最後にこうした考察の意義について述べる。
九鬼は、偶然性を捨象することなく、偶然性のままその始原(原始偶然)にまで持っていき、そこから、我々が今それを「運命」として引き受けているという事態を捉えることによって、「我」と「汝」の出会いを、抽象的普遍性に基づく倫理学説から守り抱擁しようとしたということができるだろう*28。