ブータン回想録⑧無期待社会
ブータンは「無期待社会」です。
誰かに期待を寄せたり、何か特定のことが起きることを期待したりすることがありません。
期待そのものがないので、期待を裏切られて落胆することがありません。
裏を返せば、誰かに何かを期待されることもないので、余計なプレッシャーを感じることがなく、
とても心地良く生きることができる社会と言えます。
仲間とピクニックに行く時、待ち合わせ時刻を決めたとしても、その時刻に集まることさえ期待しません。
実際、僕が集合時刻の10分前に到着したら誰一人来ておらず、集合時刻から20分位過ぎてからぞろぞろ集まり始めました。
ですが、結果としてそのピクニックはとても楽しく、出発時刻が遅れても全く行程に影響ありませんでした。
むしろ遅く出発したからこそいろいろなことがうまく展開していったという側面もありました。
サッカーの試合があっても、メンバーが急に来られなくなったり無断で休んだりすることもザラです。
そのぶん代わりのメンバーを呼び寄せる物理的な負担は生じますが、そもそも約束を守ることでさえ誰も期待していないので、休んだメンバーも来たメンバーも代わりのメンバーも、誰もが精神的に楽なのです。
ちなみにブータンでは、代わりのメンバーとなるような人間がなぜかグラウンド周辺のあちこちに待機していて、呼び寄せると喜んで参加してくれます。
子どもへの教育についても、
「あれだけ厳しく言ったから今回は大丈夫だろう」
「あれだけ教えたからテストで良い点を取るだろう」
という期待はありません。
何度言っても、同じモノを忘れてくるし、同じところを間違えます。
ですが、そもそも子ども一人一人の「成長時計」の進み方は異なり、教師の「大人時計」通りには進まないということを、彼らはよく知っています。
なので、ブータンで人をマネージメントしようと思ったら、減点主義ではなく加点主義でないと心底疲れてしまします。
もっと言えば、減点も加点もせず、ただできなかったところを「ここを修正して、次行きましょう」、できたところを「できましたね。その調子で行きましょう」と淡々に伝えるだけ。
それ以上でもそれ以下でもありません。
そもそも他人なんてコントロールできず、すべては仏の本願力で回っているという世界観がベースにあるので、誰かに何かを期待することに意味がないと彼らは悟っています。
そういう意味で、ブータンは「無期待社会」なのです。
僕たちはついつい頼まれもしないのに、思い入れのあるものや人に期待し、期待通りになれば、自己有用感や達成感を味わいます。
特定の結果が得られなかったら、そのギャップに落胆します。
自分自身に対する期待も同じです。
逆に誰かから何かを期待されると、期待に応えようと無理をしたり、自分らしくないことをしてしまったりしがちです。
そういった感情の起伏の大きい生き方を否定するつもりは全くありませんが、
もしそのことによって余計なプレッシャーや重荷を感じていたり、心地良くない毎日を送っているのならば、
思い切って誰かや何かへの期待を手放し、
誰かに期待されても「ありがとう」と感謝しながらも、
あくまで自分自身の心地よさに従うスタンスが大切かもしれませんね😀
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