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ブータン回想録⑨文化の違い

ブータン人のほとんどは、自分は幸せだと思っています。
 
そして、目の前の相手、出会う相手も幸せだという前提で接します。
 
つまり、ブータン国内で出会うブータン人はみんな幸せだと思っています。
 
お金を持っていようと持っていまいと、どんな肩書きがあろうとなかろうと、どこに住んでいようと住んでいまいと、みんな幸せなのです。
 
どんな人でも仏や如来、宗教指導者や国王のご加護を受けているというチベット仏教観が影響しているからです。
 
「幸せ」という極めて大きな共通項があるお陰で、ブータン人には何を話しても大丈夫という安心感があります。
 
人間は知らない誰かと、出身地や出身校など、共通項があると分かった途端に距離が縮まって親しくなれるという傾向がありますが、
 
「幸せ」という共通項は何より強力な共通項です。
 
その強力な共通項のお陰で、ブータン人とは初めて知り合った人でも、建前や能書きはそこそこに、本音で語り合えますし、
 
ネガティブなこともポジティブなことも、きっと聴いてくれる、受け容れてくれるという安心感があるのです。
 
コミュニケーションコストが少なく、氣楽に話せるということです。
 
 
一方日本では、目の前の相手、特に初めて会う相手が幸せなのかどうかは分かりません。
 
高級タワマンに住んでいても、家族関係が最悪かもしれませんし、
 
有り余るほどのお金を持っていても、大病を患っているかもしれませんし、
 
大企業の役職に就いても、自分の興味や能力を全く生かせず、悶々としているかもしれません。
 
相手が幸せかどうかわからないから、
「自分だけ幸せな話をすると妬まれる」
「相手が嫌な思いをしないように話さなければ」
などと、罪悪感を感じて無難なコミュンケーションになりがちです。
 
逆に
「お前だけ幸せになりやがって」
「どうせ私なんて・・・」
などという、相手と自分を比較することからくる劣等感を感じることもあるかもしれません。
 
そんなプロセスを経ながら、相手の状況を理解して、共通項があるのかないのかを探っていかなくてはなりません。
 
大きなコミュニケーションコストがかかります。
 
でも、そのお陰で日本人は感受性が高く、相手を氣遣う能力に優れているのかもしれません。
 
そこから生まれたホスピタリティ(おもてなし)やものづくりは世界で評価されています。
 
そうなった時に、ブータンと日本、どちらのコミュニケーションが、どちらの文化が良い悪いということではないのだと思います。
 
ただ文化が違っているだけ。
自分がいいなあと感じる文化を自分の中で使ったり取り入れたりしていく。
  
そういう意味で、自分が属している文化やコミュニケーションだけが絶対ではなく、いろいろな文化を知って体験して、自分に合うもので自分を満たしていくことが大事なのかなと思いました😀

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