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お母さん、ごめんね④

弟は中学時代、部活と勉強を両立して頑張る生徒でした。
成績も私よりよく、何事も頑張っていました。

しかし、中学3年生の秋頃から次第に伸びはとまり、学力が少しずつ右肩下がりになっていくのは、模試の結果から分かってしまうことでした。
そのため、塾を転々とし、特別なクラスに入会し、参考書を買い、、、様々な手立てを打ちました。
毎日夜遅く帰ってくる弟には相当なストレスがかかっていたことと思います。

受験当日、志望校を1ランクさげ挑んだ半日間。
帰ってきた弟は、開口一番「だめだわ、」と。
その弟の態度に母は激高。

結果は、弟の予想通り不合格でした。

弟は滑り止めの高校に進学。
しかし、弟の同級生たちは賢い子どもが多く、皆、進学校にすすみました。
息子がその仲間入りをするはずだったと思っていた母は、精神を壊しました。
毎日の口げんか。「生きてる意味あるの」「金返せ」「気持ち悪い」
私も側で毎日聞いていました。

弟もだんだんと元気がなくなり、食事が喉を通らなくなり、精神科への通院を余儀なくされました。

母はしきりに、「高校受験失敗したんだから、大学はいいところにいって見返しなさい」と口にするようになりました。

しかし、弟の調子は芳しくなく、それに母は激高。
その母に対して、父もよくおもっていなかったようでした。

こうして歯車は少しずつかけ始め、「家族」はまわらなくなっていきました。

その頃の私はというと、大学は実家を出てひとり暮らしですから、ほぼ毎日かかってくる電話で母から弟についての愚痴を聞いていました。
私が母に一度悩みを相談すると、「あんたは東京でていったでしょ。楽しいでしょ。そんな考えても何も為らないって。馬鹿じゃないの。」そう大声で張られました。

私は、誰にも相談できない環境になりました。父とはその頃も仲が良かったので、普通の話をしていました。

そうして私は母が嫌いになっていった。
この人から生まれたことが、自分の一番の汚点とさえ思います。

母は子どものまま、ママになりました。
愛されないまま、自己肯定感が低いまま、認められないまま。
自分の出来なかったことを子どもに押しつけて、「苦労させないように」を免罪符にして、子どもを追い込んでいきました。
子どもがいくらやめてといっても、もう無理といっても、「きっとできる」「頑張れ」の一点張り。

私は子育てをしたことがありません。だから、子どもに期待すること、褒めること、叱ること、いろんなもののバランスが全て分かっているわけではありません。

それでも、今の母が正しいかというと、私は頷くことができません。

見かけは、よい家族。
虐待だなんて到底思われない。

でも、していることは心理的虐待そのものです。

私は実家が嫌いです。休まりませんし。

それでも、実家に戻ります。母は子どもなので。

「あなたが思っているより、お母さんは大変。」
「親の幸せは、子どもが幸せになることだよ。」

私が相談して幾度となくきいたことばです。
優しく話を聞いてくれた方々には深く感謝しています。

でも、そうはいかないんです。

親子関係はもろく薄いものです。
家族だって、べつにたまたま一緒に居るだけです。

家族の枠組みにとらわれすぎる社会が少しでも寛容になりますように。

大学卒業までに50冊本を読む目標を達成するために使わせて頂きます◎