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妊活の記憶〜体外受精で授かった話~

4歳になった我が息子くん。

前回は、その出産の記憶を振り返ってみた。 https://note.com/sinmaimom37/n/ne990bd84b5aa

今回は、そのまた少し前の「受精」の話。


我が子は、何を隠そう、体外受精で授かる事ができた。別に隠しているわけではないけど、誰かに聞かれることもないし、自ら話す機会もないから、オープンに語る事はなかったけど、私の人生の中では、大きな経験だったので、忘れないうちに書き残しておこう。

体外受精とは、簡単に言ってしまえば、文字の通り「体の外で受精させる」こと。もう少し、踏み込んだ表現をすると、自然妊娠の場合、女性の体の中(子宮)で、精子と卵子が出会い、受精するのだけれど、その出会いの確率を上げるために、女性の体から卵子を取り出し、精子と出会わせ、受精させ、「受精卵」となった状態のものを、子宮に戻すという方法。

質の良い卵胞を多く取り出す事ができれば、受精の確率は上がるし、うまくいけば、受精卵を凍結保存し、第2子として迎えてあげることもできる。

普通なら、排卵誘発剤を使えば、たくさんの卵胞ができるのだけど、私の女性としてのカラダの機能はかなりの劣等生で、排卵誘発剤のチカラを借りても、ようやく卵胞を1つ作り出せるというレベルだった。

初めて挑戦した体外受精は、貴重な1個の卵胞の採卵(体の外に取り出す事)に臨んだものの、病院のベットで休んでいる私に先生が告げたのは、採卵失敗という結果だった。緑色の手術着のまま申し訳なさそうに「〇〇さん、やっぱり、採れなかった。」と説明に来てくれた先生。

私はしばらくベットで泣いた。

そして、しばらく妊活を休止する事にした。

それから、3ヶ月ほど経って、もう、これで最後と決めて、私たち夫婦は、(というか、ほぼ私の意思だけど)2回目の体外受精に挑戦する事にした。

今回も、強めの排卵誘発剤のチカラを借り、夜な夜な注射を射ちに病院へ通ったけど、実った卵胞は1つだけ。

エコーで確認して先生も「ん~~やっぱり1個かぁ。でも、1個だからって受精しないわけじゃないし、1個採れて、1個戻せる事もあるしね。やってみよう!」と前向きな姿勢だった。

そんな先生の姿勢に救われた気がして、私も前向きに、採卵に臨んだ。

無事、貴重な1個の卵胞は取り出す事ができた。

そして、私の卵胞細胞は、培養士さんの手を借りて、ようやく夫の精子と出会い、受精卵となる事ができた。細胞分裂を繰り返し、いよいよ、私の子宮の中へ戻す「胚移植」の日を迎える事になった。

季節は秋。台風が接近している時期だった。

移植の日の前日、病院から連絡があった。
「台風が近づいていますが、明日はどうされますか?凍結保存して、別の日に移植する事も可能ですよ。」
私は、予定通りで大丈夫ですと答えた。

もう、先延ばしにしたくなかったし、今、このタイミングが、私たちのタイミングなんだと直感で思ったからだ。

台風が接近して、暴風の中、病院へ向かい、予定通り「胚移植」をしてもらった。

およそ12日後の判定日、私は人生で最高の幸せな日を迎える事ができた。

こんなキセキが二度と起きる事はないだろう、二度も起きるものかと私は思っている。一部の親戚から「もうひとり産めるよ」「ひとりっ子じゃかわいそうよ」と囁かれたけれど、テキトウに笑ってスルーしてきました。

本当に「命」ってキセキの塊で、いくら最先端の医療のチカラを借りても授かる事ができないケースもある。

やっぱり、ヒトの命を創り出すのは、神の領域なんだと思う。あかちゃんは、「授かりもの」なんだ。

息子が成人して、お酒が飲めるようになったら、チビチビとスパークリングワインを飲みながら、この話をしようかなと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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