冬乃くじ論序説「あなたのツイートは書く前から冬乃くじにリツイートされている」件についての考察──『国破れて在りしもの』感想──
いきなりの僕の書き出しに「きっと心労氏は心労で気がふれたに違いない」とお思いの方も多いとは思うでしょうがこれは事実であり現実の現象です。
というのも、冬乃くじ氏
の新作短編「国破れて在りしもの」と、氏の過去作を再読し(まくっ)て気づいたことがあるんですが、「冬乃くじ氏の時間感覚は我々とはちょっとズレている(良い意味で)」のです。
というのも氏の公開媒体初出作品(と認識してるんですが合ってますでしょうか……)の「愛ある限り」で感じた時間感覚への違和感……加速と遅延が和合するという二律背反が、今作「国破れて在りしもの」で更に異質のブラッシュアップを遂げているからなのです。
↓「愛ある限り」掲載記事
↑「国破れて在りしもの」
上記の作品は、とある市が迎えた新市長の施策による市の勃興?と衰退?が時系列に沿って展開される物語になっているんですが、発生する現象は過去に遡行していきます。
ちょっとなに言ってるかわかんないとは思いますが、更に分かりづらく言うと、この物語内では未来と過去が同方向に存在します。わかんないですよね。僕も自分がなにを言っているのか分かりません。
「愛ある限り」では、時間、という概念は観測者により可変するものであり、(加速と遅延を体現する存在でありながらも、むしろあるが故に) そこに愛がある限り、登場人物であるふたりが観測する時間は永遠である、というテーマが掲げられていたように思えます。その場合の時間の指し示す方向性は円環であり、メビウスリンクであり、加速 ≒ 出発+遅延 ≒ 到達 の愛ある和合=永遠である、という式が展開されていました。
ところが今回の「国破れて在りしもの」では、物語を観測する存在は読者です。モノローグとドキュメンタリー風味の地の文で進められる物語は、ある種「神の視座」とでも呼べるべき読者の観測によって把握されていきます。事態を俯瞰しているかのように巧妙に組み立てられた文体は、読者に「この物語は原因が結果に帰結するのだ」という錯覚を植え付けます。そう、「未来は前に進み、過去は後ろに下がるのだ」という至極当たり前の時間感覚に。
これは冬乃くじの罠です。気をつけてください。
物語では、次々と過去の遺構が復興され、異物が排除され、闇に埋もれていた真実までもがその姿を元通りにされていく。自然は還り、人々は若返り、「あらゆる因果がひっくり返り、時と事象が遡っていく」(本文引用)なかで人為の手の届かないものが生まれ、物語が収斂していく。一見、事象の積み重ねが物語の収斂に寄与しているかのようなこの物語構造は、実際は事象を解体して逆戻しすることによって成立したのだという時間的な矛盾がここに生じている。
ここに、僕がこの文章のタイトルで述べた「あなたのツイートは書く前から冬乃くじにリツイートされている」という矛盾の根本が垣間見えるのです。
ちょっと話がズレますが、SF作家であるテッド・チャンの作品に「予期される未来」という掌編と呼んでもよい短編があります。自由意志と決定論を扱ったテーマの秀作ですが、そのテーマとは別に、ここで登場するある装置は我々が持つ時間の概念を転倒させてくれます。
予言機は、車のキーレス・エントリーに使うリモコンに似た小さな装置で、ボタン1個と大きな緑のLEDがついている。ボタンを押すとライトが光る。厳密に言うと、ボタンを押す1秒前にライトが光る。(中略)
【引用:早川書房「息吹」テッド・チャン著 大森望訳】
冬乃くじ氏(もしくはその別アカウントの某光速リツイーター氏)の魔力的な魅力はここにあります。氏は、時間を解体して再配置するという特殊能力作家なのです!!!!(暴論)
……すみませんすこしふざけました。
真面目な話をしますと、冬乃くじ氏のある種幻想的な時間感覚が滲み出るこの作品は、事象を進行させながら解体して再配置し、しかもそれが矛盾せず物語の終局に帰結する、という非常にアクロバティックな技巧を用いながらも読み易く、何が起こったかを把握し易い文体でその違和感を快感に変換してくれます。
我々の感じる物語の進行=未来は、冬乃くじ氏の展開する物語時間の一部でしかありません。氏は、この物語に巧妙に過去時間と未来時間の並列を仕込みました。それに触れた我々は、ある者は違和感を感じ、ある者は再読の必要性を感じて皆同様に連読の沼にハマるわけです(もちろん再読に耐え得る物語の強度も持ち合わせているからではありますが)。
そしてそれらの行為は全て冬乃くじ氏の掌の中で仕組まれた事であり、あなたがツイートする内容が書き込む前から氏にリツイートされているという寓意の示すものは、氏の持つこの独特な時間感覚の為せる技なのです。
試しに冬乃くじ氏の他作品も読んでご覧なさい。人間と書物という時間軸のまるでズレた存在同士が最終的に同じ時間軸に乗っかる「ある書物が死ぬときに語ること」だったり、恋人同士の空想時間と現実の時間とが「明日への希望」で擦り合う「ハッピー・バースデー」だったり、氏の作品には、現実時間と作者の感じた時間のズレを物語構造に取り入れた作品がとても多いように感じます。
そして読者たる我々は、その心地よいズレを楽しみ、ホンワカし、ちょっとした棘を埋め込まれたり、愛を感じたりするのです。そう、一瞬で氏にリツイートされた瞬間のあのなんとも言えない「おっ!」という感情は、そのズレがもたらしてくれるものなのですよ。
過去も未来も「まぜこぜ」にして一級の物語を紡ぐ作家、冬乃くじ。これからも注目しています。
おわり。(ヘッダー画像は作者様からお借りしました)