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気少と気盛を弁じる(『内外傷弁惑論』)

口鼻を弁ずるのところと通ずる内容がここでもある。東洋医学では四診が大事という。しかしこの章をみるに四診とは個々の望聞問切の技術のみならず、それらを統合した技術。つまり全体的な雰囲気を捉えるとでもいえる行為が大切なことがよくわかる。
現代風に言えばゲシュタルトを捉えるといったところだろう。

前回までの記事はこちら


気少と気盛を弁じる

現代語訳

外から風寒を受けた病(外感)の場合、気が詰まって盛んになり、有余となる。一方、飲食や過度の労役による内傷の場合、口や鼻からの呼吸の気が短く息不足になる。どうしてこのように区別できるのか?外から風寒を受けた病では、そもそも心肺の元気がまだ損なわれておらず、さらに外の邪気が加わって気が盛んになっている。だから、鼻の通りが詰まって悪くなり(鼻気壅塞)、顔は赤くなり、鼻からは気が出にくいので口から呼気が出る状態になる。いざ一言発するとき、必ず初めは軽く、後になるほど重い調子になり、言葉は高く、声は壮健で力強い。もし傷寒ならば、鼻は乾いて涕(はなみず)が出ず、顔はむくんだように赤く、言葉は前が軽く後が重く、声も壮健で力強い。これこそ有余の証拠である。傷風ならば、はっきりと鼻から清い涕が流れ、声はかすれ、まるで壺の中から響くような音になるが、それでも前が軽く後が重く、高く響いて力があるのは、いずれも気が盛んで有余であることの現れなのだ。
 一方、内傷で飲食や労役によって心肺の気が先に損なわれている場合は、熱がさらにその気を傷つけているので、四肢に力がなく動けない。ゆえに口や鼻の呼吸の気は短く少なく、上へはあえぐように息をし、話すのもおっくうになる。人が何かを尋ねても、十のうち一つ答えるのも嫌になる。もし無理に答えたとしても、気は弱々しく、声は低くなる。これこそ気が不足している証拠だ。これほど明白なことなのに、普通の女性でさえ区別できることを、どうして医者が区別できないということがあろうか?



原文

 外傷風寒者、故其気壅盛而有余;内傷飲食労役者、其口鼻中皆気短促、不足以息。何以分之?蓋外傷風寒者、心肺元気初無減損、又添邪気助之、使鼻気壅塞不利、面赤、不通、其鼻中気不能出、並従口出、但発一言、必前軽而後重、其言高、其声壮厲而有力。是傷寒則鼻乾無涕、面壅色赤、其言前軽後重、其声壮厲而有力者、乃有余之験也;傷風則決然鼻流清涕、其声嗄、其響如従甕中出、亦前軽而後重、高掲而有力、皆気盛有余之験也。
 内傷飲食労役者、心肺之気先損、為熱所傷、熱既傷気、四肢無力以動、故口鼻中皆短気少気、上喘懶語、人有所問、十不欲対其一、縦勉強答之、其気亦怯、其声亦低、是其気短少不足之験也。明白如此、雖婦人女子亦能辨之、豈有医者反不能辨之乎?

『内外傷弁惑論』李東垣

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