情緒と気の動き(精神五臓第一②)
前回の記事
原文と訳
原文
甲乙経のこの節は、『素問・挙痛論』からの引用である。
意訳(AI翻訳)
下記の現代語訳は試験的にAIで翻訳して手直ししております。
厳密な考証はしておりませんので参考程度にご確認ください。
素問では、怒ると気逆し、ひどいと吐いたり下したりする。ゆえに気が上るという。喜ぶと気が和らぎ、志が達し体の機能が調整され、榮衛が通じ、そのために気が緩みます。悲しむと、心が緊張し肺が上がってしまい、上焦が通じず体内の熱気がこもって、気が消耗します。恐れると神がおりてしまい、神がおりると上焦が閉じ、上焦が閉じると気がかえってしまい、気がかえるために下焦が膨張して、気が流れなくなります。寒に傷られると、体の毛穴が閉じて営衛が通らなくなり、気が収斂します。熱に傷られると、体の毛穴が開いて、営衛が通りやすくなり、大量に汗が出るため、気が漏れます。驚いたときは、心が落ち着かず、神が帰るところを失い、「慮」しても定るところがないため、気が乱れます。疲れたときは、息切れがしたり、汗をかいたりして、内外の両方が超過状態になり、気が消耗します。思うと心が一定の対象を持ち、神が集中し、気が正常に留まって巡らず、そのため気が結びます。
解説
全ての解説をすると膨大な量になるので冒頭部分を読んでみようと思う。
飧泄(ソンセツ)
飧泄は未消化便のことである。
飧泄は秋に不養生をすると冬に現れることが知られており(『素問・四気調神大論』)、また陽気不足によって起こることが知られている(『素問・陰陽応大論』)。
嘔血(オウケツ)
嘔血とは吐血のこと。つまり口から血を吐くような症状である。
肝と気逆
怒髪天をつくという表現があるように怒気は気逆を引き起こす。この際にもっとも影響を受ける臓腑が肝である。なぜ肝なのだろうか?肝は下焦にあり陰蔵であるが、春に対応する臓と言われる様に強い陽気を持っている。そのため気逆との関連が深い。
また『霊枢・経脈編』には「是主肝所生病者、・・・嘔逆、飧泄、・・・」とあり、ここでも肝の病と気逆が密接に関わっていることがわかる。さらに言えば、気逆という病理によって上焦は実(嘔血、嘔逆)、下焦は虚(飧泄)という症状が現れると考えられる。
情緒と気の関係
情緒と気の動きは下記の様にまとめられている。字面だけだと理解しにくいが、それぞれの感情のときを思い浮かべながら読むと、ニュアンスが少しめつかめると思う。
怒る→気逆→気が上る
喜ぶ→気が和み営衛が流れる→気が緩む
悲しむ→神が上焦にこもる→(熱化して)気を消耗する
恐れる→上焦が閉じる→気が下焦で貯留して気がめぐらない
思う→気が1箇所に留まる→気が結ぶ
驚く→心に拠り所がない→気が乱れる
環境と気の関係
環境によっても気が動く。
熱い→毛穴が開き、営衛が通じる→汗と共に気が消耗する
寒い→毛穴は閉じて営衛は流れない→気が縮こまる
過度な肉体労働→息は荒く、汗をかく→気を消耗する
上記の状態も、真夏日や冬の日、スポーツの後などの身体をイメージしてもらえるとニュアンスが掴みやすいだろう。
昔と今では意味が違う!?
黄帝内経の解説で著名な柴崎保三先生が言うには、古代と現代では感情の意味合いが違うと言う。ただどちらかというと
情緒によって神や気がどう動くと書かれているのか
その記載と情緒による身体の変化のニュアンスを感じ取れるか
という前提があった上で、探究心あふれる勇姿は現代と古代のニュアンスの違いを突き詰めていけばいいと個人的には思う。詳しい説明はこちら、内原先生が丁寧にまとめてくださってます。
まとめ
この節では情緒や環境によって、気がどう動くかについて書かれていた。
この章は「刺鍼で最も大切なのは神である」という書き出しであったが、その神が揺れ動く状況は、情緒(怒喜悲恐思驚)・環境(寒熱)・労働(労)の三つであるというのがこの節の骨子であろう。
ただ正直なところを言えば、前回の記事と比べると階層構造がぐちゃぐちゃになっている。これ前回の記事は『霊枢・本神篇』を引用して書かれたものであるのに対して、この節は『素問・挙痛論』を引用して書かれているからだ。
気については自分もいまだに良くわからないが、情緒や環境、労働による体の変化は感じることができる。このあたりから古典の意図するところを汲み取れたら黄帝内経の行間を読む第一歩を歩めるのではないだろうか。
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