読書感想#60 【高山岩男】「西田哲学とは何か」
出典元:西田哲学とは何か 高山岩男 燈影舎 出版日1988/6/15
西田哲学
「西田哲学」、あるいは「京都学派」とはいわれますが、そこに何か体系立ったものがあるわけではありません。むしろ体系的なものがないこと、これが一つの特徴とすらいえます。
だから厳密には、西田哲学とは何か?京都学派とはどのような思想か?と問うのは正しくありません。巷でよく見かけるこの問いに、あまり意味はないのです。西田幾多郎を主役に添えるか、西谷啓治を主役に添えるか、あるいは高山岩男、高坂正顕、下村寅太郎を主役に添えるか、など、誰を主役に添えるかによって、その根幹は大きく異なります。それを承知して頂いた上で、本記事では西田幾多郎を主役に添えた西田哲学を明らかにしたいと思います。
行為的直感
西田哲学の独自概念として、まず押さえておくべきは「行為的直感」です。
それというのも、見る・聞くというような直感には、主体の能動的行為が伴っています。必ずしも受動的な現象ではありません。それゆえ、西田哲学においては、直感は「行為的直感」といわれるのです。
直感は行為と不可分一体にあるのです。西田哲学では、この直感と行為の弁証法的世界を、現実の世界と考えます。
そしてそのことは、行為には客観的根拠を伴うということも意味します。
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