読書感想#48 【丹下健三】「建築家は民衆をどう捉えるか」
引用元:丹下健三建築論集 岩波文庫 2021年7月15日 初版
私の読み方
建築家の仕事は、建物を設計することです。図面を描いたり、導線を計画したり。しかし、それだけでは建築家と建築士とを区別することは出来ません。あえて建築士ではなく建築家を名乗る所以はどこにあるのか、これが明らかにならない限り、建築家の存在意義さえも怪しくなって来ることでしょう。建築士から一目置かれる建築家という存在は一体何なのか、それを知るには、彼らに共通の仕事である、「設計」の本質を探る必要があるように思えます。「設計」とは何か、建築士の「設計」と建築家の「設計」とでは、一体どこにその差異が生ずるのか、これらの考察が、そのまま本書の読み解きへと繋がりました。そして、それを丹下の言葉を持って結論付けるとすれば、
設計の極意はここにあります。建築はいかに現実と関わり合い、相互に影響を与え合うのか。この現実を分析し、現実を想定し、現実を予定すること、これぞ「設計」という仕事なのです。そして、建築においての現実とは、畢竟すれば民衆にたどり着きます。民衆とはすなわち、「万人受け」とも言い換えられます。ただの一部に向けたエリート的なものではなく、もっと普遍的なもの、それが民衆という概念なのです。そしてこの普遍性を捉えることこそ、建築における現実に繋がるのです。故に、民衆をいかに捉えるかということが重要となって来ます。
民衆を捉えることの難しさ
ただ、民衆を捉えることが非常に困難であるというのは、以下に丹下が述べている通りです。
これは極めて当たり前のことをいっているようにも思えますが、しかし実際には見落とされがちな事実でもあります。それというのも、多くの建築家は、勝手に理想の民衆像を作り出しては、むしろその理想の民衆像に実際の民衆を当てはめて考えようとするからです。故に、そこで考えられる民衆は、極めて主観的に考えられた民衆となるのです。すなわち、あまりにも一面的に過ぎるのです。ここでは多くの民衆が取りこぼされています。もちろん、これでは民衆を捉えているとはいい難いでしょう。真に民衆というものを捉えるなら、もっと客観的な捉え方が必要となってくるのです。
調査の限界
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