読書感想#1 【田辺元】「常識、哲学、科学」「弁証法の意味」「種の論理と世界図式」「懺悔道としての哲学」「メメント モリ」「生の存在学か死の弁証法か」「哲学の根本問題」
田辺元が誰なのかを知っている人は、おそらく極僅かでしょう。日本の歴史に於いてはすでに忘れ去られた人です。しかし実はそれはまだマシな方で、残念なことに田辺元が誰なのかを知っているその数少ない一部の人々に於いても、その大半は田辺元=戦争に協力した人間と敬遠しているのが現状です。もちろん見方によってはそう思われても仕方がない面があるかも知れません。しかし私が田辺元の諸論文を読んで感じたことは、田辺は誰よりも強く戦争に反対の意を示していたということ、そしてその戦争を止める力が自分にはなかったということに対し、無念を感じていたことであります。
実際、田辺は国(類)からの権力や圧力によって強引に個人(個)の意思を押しつぶして、個人に自己犠牲を強いるということをはっきりと否定しています。田辺は連帯責任という言葉も用いますが、これは例えば、私がサッカーの試合で失点に繋がるミスをしたとして、それによって監督からチームメイト全員に対して腕立て伏せが命じられるというような類のものではありません。田辺流にいうならば、連帯責任を強いる監督という存在がいる時点で、すでにそれは連帯責任ではなくて全体主義なのです。連帯責任はいうまでもなく全員で負うべきものであって、如何なる例外も想定されません。そして全員が責任を負う対象であるからこそ、田辺のいう連帯責任には指示するものがいないのです。もし指示するものがいれば、その人は例外的に連帯責任の対象から外れるからです。
田辺のいう連帯責任はあくまでも自覚の立場です。指示するものは負うものであり、負うものは指示するものであります(即の関係)。ここには一貫して、国(類)のために個人(個)の意思が犠牲にされるということへの否定の意味が込められています。自己が自己を律するパノプティコンの完成形、私が思うに、田辺の思想のイメージはどちらかというとこちら側であるのです。
ここでおそらく多くの方が疑問に思うのは、では何故田辺は学生を戦地へ送るような、全体主義にけいごうするような発言を残してしまったのかということです。もちろんそれを考察するには単に田辺の発言や著作から切り取るのみでは不完全です。(そしておそらく、田辺元=戦争に協力した人間と結論付けている人は皆して、この不完全な状態で満足してしまっています。)
まず田辺の置かれていた時代の情勢ですが、いわずもがな戦争の時代(太平洋戦争)真っ只中であり、もはやこの戦争は田辺を含む学者達の言論で左右できるものではないところまで来ています。田辺がいくら戦争批判をしたところで戦争は止まりません。確かにそれでもなお一貫して批判を貫き通すべきだということは出来るかも知れませんが、しかしここで一旦考えてみて下さい。いずれ戦地へ赴かなければならなくなる可能性が極めて高い学生達に対して、「この戦争は無意味である、君たちは無駄死にすることになる」と伝えることが、本当に学生達を思った発言になるのでしょうか。ある意味ではこれ以上残酷な言葉はありません。
田辺哲学は後年、「懺悔道」の哲学へと移行します。巷ではこれは学生を戦地へ送ったことへの懺悔として理解されていますが、私はそれは時期的に考えてみても、また実際に書かれている内容から考えてみても、少しこじつけ感があると思います。おそらく田辺の懺悔は戦争を止める力が自分にはなかったことに対するものであり、そしてまた田辺の戦争協力といわれる発言に関しても、それは戦地へ赴かなければならない若者に対して、戦争を止めることが出来なかったことに対するせめてもの償いの意図があったのではないでしょうか。それがまやかしの鼓舞であったのは間違いありません、しかしいざ戦地へ送られる者にとって、「君の死に意味はない」といわれるのと「君の死が未来の子供たちを救うことになる」といわれるのではどちらがより励みになるでしょうか、答えは言うまでもありません。
田辺晩年の哲学には、大なる力に対する諦めが感じられます。
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