読書感想#45 【下村寅太郎】「科学史の哲学」
数学は、数による世界の構想です。これは世界を抽象することに他なりません。数学の精神は抽象の精神なのです。
しかし抽象とはいっても、それはただ抽象的であるというのではありません。抽象は抽象化の努力の結晶なのです。故に単なる抽象的なものでは意味をなしません。数学でいう抽象は、意味のある抽象、即ち結果として獲得されたる抽象なのです。あらかじめ抽象として存在する抽象ではなく、積極的に形成される抽象、これが数学の抽象なのです。
そして抽象があらかじめ抽象として存在しないように、抽象の対義語に位置する具体的というものも、あらかじめ存在している訳ではありません。具体的なものは、抽象化を媒介することで初めて具体的となるからです。故に抽象化は具体化に向けた抽象であるともいえます。仮に抽象を媒介しないとすれば、それはおそらく具体的なるものではなくして、ただ単に素朴であるに過ぎないのです。
数学が抽象的な学問であるというのも、このような深さを持っていわれるのでなければなりません。
一度抽象化されたものは、その抽象的故の扱い易さから、誰もが簡単に用いることが出来ます。しかしそれは決して、抽象化自体が簡単であるということを意味するのではありません。抽象化自体は、果てしない努力の結晶なのです。確かにそれは一度拓かれるや、無数の平俗人がその道を歩くことが出来ます。しかしそのことによって、抽象的な数学を何か机上のものと断定するのは誤謬でありましょう。むしろ抽象こそが、現実にして具体的なるものへと至るに必要な手続きなのです。
確かに数学は単に抽象的な学問と解することも出来ます。もちろんこれも正当な理解の一つではあるかも知れません。しかしここには、数学の形成成立とその意義と帰結とが十分に自覚されていないのです。いわば、無理解故の批判です。
抽象は単なる現実性の稀薄化ではありません。かえって現実を越える積極的な形成なのです。例えば、直線は延長のみあって幅のないもの、点は位置のみあって大きさのないもの、という風に規定されます。この抽象は円や直線を端的に表現するものではありますが、それは現実以上に本質を完成させるものでもあります。これは明らかに単なる抽象ではなく、具体化への抽象であり、抽象を媒介にした具体化なのです。
数学はそれ自身確かに抽象的です。しかしその抽象性は現実から何かを除去して得られたようなものでありません、理想的なるものの形成です。これによって物事の本質が展示されるのです。
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