読書感想#44 【下村寅太郎】「ポリスにおける数学の成立ー普遍学の理念ー(科学史の哲学)」
数学を単なる日常的な技術知から区別し、これを普遍的な知識たらしめるものは、ひとえに数学の持つ、証明的性格にあります。証明によって、数学は普遍を持った学問となるのです。
ここでいう証明とは、もちろん単なる推論ではありません。推論は特殊の域を出ず、到底普遍には至らないからです。
普遍に至るものは先ず、自覚的でなければなりません。即ち証明とは自覚的な推論なのです。故にそれは形式を形成する推論です。それはいわば、普遍より特殊への演算なのです。
証明には、普遍者の立場における、対象の把握が欠かせません。これによって思推は証明的性格を持ち、また思推が成り立つというのも、これを前提して初めてのことだからです。
即ち、証明は単なる思推ではなく、思推の思推なのです。故にそれは思推の自覚であります。普遍者による限定ではなく、普遍者による限定の自覚なのです。
普遍者によって限定されたものの自覚であるからには、当然この思推は内向的なものではあり得ません。むしろ公的なものでなければならないでしょう。故にそれは、単独において行われる思推ではなく、いわゆる共同的で対話的な思推でなければならないのです。
証明は自らの独断にあるのではなく、公開かつ公共的な承認を要求するものでなければなりません。証明は相互承認において成立し、共同的な思推として初めて成立する、対話的な思推法を構造として持つものなのです。
これを基礎的地盤として、初めて証明は成立します。証明が公理を前提する演算であるというのも、実はこのためなのです。
演算的論証は、演算の基礎となる公理の承認を前提しなければ成り立ちません。そしてこの公理というのは、共通意見を意味しているのです。即ち、公理は公共的承認であり、必然的に言語的弁証法でもあります。演算は、公共的社会性をその本性としているのです。
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