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初恋 #ウミネコ文庫応募

 むかしね、青い瞳の男の子と出会ったの。夏の終わりの頃だったかな。うちの近所の駅前でね。気づいたらわたしその瞳のこと、「綺麗だね」って言ってた。そしたらその子、「海の目薬を使ってるんだ」って言ったの。

 わたしは驚いて(わたしが彼に声をかけたことにも、彼がふつうに応えてくれたことにも、海の目薬なんて返答にも)、驚いたんだけど咄嗟に思いついて、「わたし耳がすごく良くって、それは山の綿棒を使ってるからなんだ」って言ったら、その子、笑ってた。

「ウソだあ」八重歯が、きらりとひかって、なんだか良いなぁと思ったのを覚えてる。

「そっちこそ」わたしはちょっとだけあかい舌を出した。

 それからしばらくわたしたちはいっしょに歩いたんだ。地図でいったら町のまんなか辺りから、少し右はじのほうへ。

 彼が歩き出したとき、わたしも歩いて横並びになって、これってデートかもしれない、ってその時わたしは思ったんだ。

 特に何も話さなかった。看板のネオンが眩しかったから、日が暮れかけていたかもしれない。でも、その子がそばにいる、そのことだけで、風はやわらかく、地面はしっかりとして感じられたんだ。

「それじゃあ、ぼくこっちだから」

 彼はとつぜんそう言って、行ってしまいそうになったから、わたしはあわてて彼のことを引き止めようとして、彼の名前を訊いたの。

「村瀬」

 むらせ、むらせ……。そうわたしが反芻しているうちに彼はもう歩き出して、住宅地や団地があるほうの道へ進んでいってしまった。

 わたしはそれ以上どうすることもできなくて、少し歩いて、近くの駅からじぶんの家まで帰ったの。

 〇

 それからは、海に行くたびに。
 目薬をさすたびに。
 山へ行くたびに。
 耳を掃除するたびに。
 村瀬という名前を聞くたびに。
 思い出すんだ。彼と少しの間、歩いたことを。

 あれはたぶん初恋だった。ちがってもそうだと思いたくなるような、そんな出来事だったんだ。