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希望ということ
希望は、昨日より今日の方が、今日より明日の方が良くなるという思いだから、自分の中での比較である。今日より明日が良くなると思えると楽しい。だから、他人との比較には、慰めはあっても希望はない。
親の介護をしている人が言ったことがある。
「赤ん坊みたいだと言う人がいるが、赤ん坊の方が全然良い。赤ん坊は成長して世話が要らなくなる。親は衰えていくばかりで、どんどん介護が大変になる」
確かに赤ん坊には成長があり、希望がある。
何かが上手になると楽しい。昨日より今日の方が上手にできれば、明日はさらに上手になっているだろうと思える。ひとつひとつ弾ける曲が増えていくのは楽しい。希望がある。
私の些細な希望体験。
初期のパソコンは、黒い箱だった。ひとつひとつ装備を増やして行かなくてはならなかった。先ずはOSを入れる。来月はメモリー購入し、マザーボードに挿す。翌月にはハードディスクを買う。さらに音源ボードを挿すとMIDI音楽が聴けるようになった。あるパソコンショップの店員さんが、「ひとつひとつ拡張していくのが楽しいですよ」と言っていたが、誰しも同じ気持ちだったようだ。こんな些細なことにも希望がある。
毎日同じ生活をしていると時に閉塞感が生まれる。閉塞感は希望を弱らせる。変化があれば、明日は良くなる気持ちが増して気分が変わる。貧しくても、昨日より今日が少しでも豊かになれば、明日は今日よりさらに良くなるだろう。そんな気持ちが幸福感を抱かせる。それは、山に登るようなもので、高くなるに従って見える景色も変わる。意欲を失わずに歩けば、やがて山頂に至るかも知れない。その「かも知れない」気持ちが希望なのだろう