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郷土食と民族食について

郷土料理は、言語のようなものだ。他の人たちとの交流が薄くなると、独自性が強化される。気候風土の影響は大きい。気候風土に適した、その土地で産まれた食材から作られた独特の食べ物が生まれる。日本国内だけを見れば、郷土食の違いは微妙な差異に見えるが、世界的に見ると、民族食には、それぞれかなりの違いがある。気候風土が違ければ、穫れる農産物も違いってきて、それを使う料理も違ってくる。

かつて、船旅をした時にクルーズ船内で講演があり、ジャーナリストの松本仁一さんからアフリカの食について学んだ。

以下は、松本さんの講演で知ったことである。

ジンバブエでは、昆虫を食べる。カメムシは、野菜と煮込むと美味しい。カメムシの悪臭は揮発性のため、天日干しして茹でて、油炒めして食べる。日本でもイナゴやハチノコを食べる習慣が、海のない県で見られる。

東アフリカのマサイ族は、牛の血を飲むという。ひとりが牛の角を抑え、ひとりが胴をかかえ、ひとりが首の静脈を傷つけて、血を取り、革袋にいれる。終わると砂を傷口になすって、牛を離す。取った血に牛乳を混ぜてコップで飲む。野菜が手に入らないので、代わりに牛の血からビタミン補給をする。

宗教的な背景によっても食べ物の習慣は変わる。イスラム教で豚を食べないのは、豚は人が食べる穀物を食べるので、人と競合してしまうからだ。豚を飼うと貴重な穀物が豚に取られて少なくなる。遊牧民にとって穀物は貴重な食料である。いっぽう、羊や牛は草を食べるので人と競合しないので食べても良い。

こんな話を松本さんから学んだ。目からウロコの話がいくつもあった。

イスラム教徒が豚を食べない習慣は、生存に関わる合理的な理由から生まれた。信仰は人々の生活を守ることから生まれるという一例と思える。また、仏教は、殺生を嫌うため、四つ足動物を食べない。これは、自分たちを守るのではなく、他者を傷つけない思想から生まれている。宗教による相違が面白い。

その土地土地で気候風土が異なり、野菜や穀物の取れない乾燥地帯もあれば、いつも果実が成っている熱帯もある。海産物に恵まれない内陸もある。そのような気候風土の違いから民族食は生まれた。

郷土食や民族食は、マサイ族が牛の血を飲むように、限られた食材を最大限に活用し、必要な栄養素を補うために生まれた側面がある。いわば、厳しい環境の中で如何に人間が生きていくかの知恵でもあった。物流が未発達な時代は、その土地でとれた食物に依存せざるをえないから、気候風土の制約は決定的だった。

物流が発達した現代では、郷土食や民族食にも必要性を失ったものがあるかも知れないが、文化や信仰として尊重しなくてはならないという考えもあると思われる。この辺りのことになると、かなり微妙であり、難しい問題をかかえている。





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