泣けなかったこと
幼児の頃を思い出すと、自分は変わった人間だったと思う。
目にものもらいができて、ジッピと呼ばれている病院に連れて行かれた。膿を出すことになった。医者の持つメスが次第に自分の目に近づいてきたときの恐ろしさは今でも覚えている。泣いたらすべてが駄目になると思ったのか、泣かないように我慢した。涙が次第に眼の中に溜まっていくのが分かった。終わったら「よく我慢したね、偉い」とほめられた。
父親の職場旅行に付いて行ったとき、あいにく臍の下に吹き出物ができていた。当時エントツから蒸気を噴き出すたびにポンポン音がするのでポンポン蒸気船と呼ばれていた船に乗るときに父の同僚の人が抱きかかえて乗せてくれた。その両腕がちょうど私の下腹部に当たり、ものすごい痛さを感じた。だが我慢した。きっと子ども心に泣いたらその善意が無駄になると感じていたのだろう。
今まで泣いたことはあった。しかし、泣かなかった、いや泣けなかった思い出は、数少ない。それだけに何故かはっきりと覚えている。こんな幼児期の体験がその後の自分を支えてくれたような気がする。