母の短歌 沖縄慰霊の日 戦地より嫁がぬわれを案じいし
戦地より嫁がぬわれを案じいし
ハガキ出で来ぬ 玉砕の兄の
戦死した伯父を思い作った母の短歌である。
退職したら、母と沖縄に行こう。そう思っていたのは、以前から、沖縄で戦死した伯父のことを母がよく話していたからである。三つ年下の母をキミちゃんと呼んで可愛がってくれたという。母は、何かあるとよく「昇治郎さんが生きていたらな」と呟いていた。そんな大切な人だった。
伯父は、昭和19年7月に佐倉の東部六十四部隊に入営し、沖縄に出征した。球七八〇七部隊(陸上勤務第八十三中隊)という兵站部隊に配属され、一年も経たない昭和20年6月、沖縄本島南部で戦死した。戒名は「国柱院昇雲光瑞居士」という。戒名は、禅宗の僧であった兄(私の伯父)から贈られた。
春4月、私は母とともに摩文仁の丘の「平和の礎」を参拝し、伯父笠松昇治郎、中隊長森田芳夫(埼玉県)、小隊長平田内蔵吉(東京都)の3名の霊を弔い、花を供えた。帰路、県道沿いにある「沖縄兵站慰霊の碑」を訪れた。碑には、所属部隊「陸上勤務第八十三中隊」の名が刻まれていた。慰霊碑は、遠くに糸満の海が臨まれる県道沿いにあった。
案内をしてくれたタクシーの運転手さんに「今まで来ようと思ってもなかなか来れませんでした」と話していたのが印象的だった。墓参を終えて、母は「やっと一仕事を終えたよ」と安堵したように言った。戦後65年が経っていた。