先生とは何か
今の中国語では、先生は尊師であり、先生は「某さん」の意味しかない。先生の起源は、明治維新後だと思っていたが、国立国会図書館デジタルコレクションを書名検索すると、江戸時代に、『明霞先生遺稿』(寛延1)、『池田先生疱瘡治術伝』(慶安3)等の例のように先生の呼称が使われているのが分かり、さらに清代、明代、元代の漢籍にも先生が使われているので、中国の影響は否定できない。
世の中には先生と呼ばれる職業人がいるが、自然と先生と呼べる職業とそうでない職業があるようだ。私には、素直に先生と呼べる職業人は学校の教師と医師だけである。教師は何かを教えてくれる。すると先生とは教える人ということになるが、医者は治療をする人だが、先生と呼ばれる。両者の不一致が気になる。
愚考すれば、教師は知識を与えるだけでなく、豊かな人間に育てるための方法を生徒に示してくれる。一方、医者も治療を目的とするが、患者に服用する薬を指示したり、食事の注意をしたり、治療に有益な生活方法を示してくれる。教師と医者は望ましい方向に人を導く点で共通していると思われる。私たちは、そういう事を直感的に感じて、導いてくれる人を先生と呼んで尊敬するのだろう。
暗闇を導く人たちは、先生と呼ばれうる。師というニュアンスに近い。確かに教師と医師には師がついている。教師と医者以外に先生と呼ばれている人たちには、議員、弁護士、作家等がいる。こういう先生と呼ばれている人たちでも、人間を導くことに失敗した人たちでは、「先生」という呼称は形骸化してしまい、どうして先生と呼ばれるのかと皆から疑問視されてしまう。暗闇から明るい社会へと人々を導いてくれれば、自然と先生と呼ばれるようになるのだろうと思われる。
何かを教えてくれた人でも、私が先生と呼ばなかった人がいる。スキーを教えてくれた同僚には、先生と呼ばなかった。職業でなかったからか。教習所の教官は、運転の方法を教えてくれた。先生と呼びかける機会がなかったからか、運転技術だけでは、暗闇の指導者でないのか、いや運転できるようになったことは未熟者が暗闇から抜け出たことなのだから、やはり教官は先生なのだろう。
ところで、職名で呼ぶことは敬称で呼ぶことだといわれる。特にサラリーマン社会では、◯◯部長、◯◯課長と言えばよい。思案すれば、部長課長は階級が明示されているからだろう。人間は上下関係に敏感だ。議員も大臣になると先生でなく、某大臣と呼ばれる。教師も◯◯校長は敬称を感じさせるが、◯◯教師では、平等しすぎて、それだけでは敬意が表れないのか、先生と呼ばれる。階級差のない職業名、議員、弁護士、税理士等が敬称を感じさせないのは、階級名でないからだろう。だから、別に先生と呼ばれるようだ。ということは、その職業名だけでは、人々の尊敬を受けないということを示している。議員、弁護士、税理士等が、人々を導いてくれるという連想ができれば、職名だけで十分なはずなのにである。要は呼称の問題でなく先生たる仕事をしているかという内容の問題であると思われる。