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勉強家と言われた子

近所に勉強が好きで、よく勉強ができた子がいた。学校から帰るとすぐに自分の部屋に入って、勉強した。周りの人たちは、A君のことを勉強家や点取虫と多少の嘲笑をもってうわさした。

それを聞いた父が「勉強するのが何故悪いんだ。努力して勉強するなんて偉いじゃないか」と怒りを込めて言った。

中学のときにも、勉強する子をからかう風潮に気づき、それを注意した若い英語の女の先生がいた。いつもは冷静な先生だったが、この時はそれを正した。努力への嘲笑は許すべからず。

子どもの世界は、無垢で純真だと言われる。善悪の区別ができない天心さが子どもの特色だ。だから、あからさまな人間の本性が表れ、努力する人の足を引っ張り、そこに故障を入れることもある。子どもの世界を内側から見ると決して美しいものではない。人徳は教育によっては得られない先天的なものなのだろうか、教育の限界を感じる。成人するに従い、社会性という名のもとに本性は影に隠れていく。社会関係が崩壊し、生の人間が表れるときに子ども時代の姿が再現される。

自分の道を真っしぐらに歩む者に石を投げ、棒で打ち、邪魔をする話は、常不軽菩薩の話だけではないようだ。教わらなくても努力する才能を持つ子もいれば、教えても人をからかう悪徳から抜けられない子もいた。まさに子どもの世界はおとなの縮図だ。

A君は、勉強家と言われても決して勉強をやめることはなかった。そして目指す学校に合格した。

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