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父との旅行

私が学生の頃に、父母がよく夫婦で連れ立って旅行に行った。心臓を患っていた父は母にわがままだった。旅先でツアーの同行者から「あなたは病気を武器にしている」と冗談めかして言われたらしい。父は、家に帰ってきてその話を何度も言い、激高していた。旅先で、父は母を頼っていた。ただ傍目にはその深刻さが分からず、亭主関白のわがままと映ったのだろうか。「『あなたは病気を武器にしている』なんて言われたが、本当に具合が悪いんだぞ! 」今でもその時の様子が目に浮かぶ。

それから10年程して、私は、休暇を取って父と山陰地方に旅行した。伯備線で日本海に抜ける予定だった。岡山発の列車は何時だからと父に暗にせかしたのがいけないかったようで、歩いていても苦しそうな様子だった。時間に縛られるのは心臓にはよくない。そんな学習をして、いつの間にか、ふたりの歩みはゆったりとしていた。一時間程歩き回ると「休んで行く?」と訊いて、喫茶店に入って休んだ。皆生温泉、松江、出雲大社を巡った。出雲大社の参道で、父は「大きな袋を肩にかけ♪」と「大黒様」を歌いながら歩いていた。帰宅して、父は母に「私と旅行すると一、二時間ごとに喫茶店で休むから調子がいいよ」と言ってくれた。

翌年は、ふたたび二人で北九州に旅行した。博多から太宰府、唐津、長崎、雲仙を周った。道を尋ねた婦人の先導で長崎の坂を登る時は苦しかったのか、あとで「あの人はすごい早足で歩いてたよ」と言っていた。雲仙温泉の硫黄の匂いを嗅ぐのも心肺にはよくないようで、早めにそこを立った。こんなこともあったが、旅を通じて陽気がいい日が続き、体調は良かったらしい。「九州から帰ってからは、すごく調子がいいんだ。また行こうよ」と言っていた。それから半年後に急変して亡くなった。落ち着いたころに、母が「お父さんと旅行に行っておいてよかったね」と言った。

2022.12.22

唐津城にて 昭和55年秋

  

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