分類の難しさ
分類には、事物を客観的に見て分類する場合、目的のために虚構的に分類する場合、専門化が進んだ結果の分類などいろいろありそうだ。
客観的な分類
この世の中のありとあらゆるものは連続的につながっていて、濃淡の関係はあるとしても、区切りがない。それなのに無理に分けようとすると矛盾がでる。何かを定義することは、連続するものにどこかで線を引かなくてはならないので必ず例外がでる。
煙突を「円筒から不要な気体を排出するもの」と定義すると、自動車のマフラーも煙突に分類されてしまう。哺乳類は母親の胎内で育て分娩により子どもを生むはずなのに、カモノハシは卵生で哺乳類に分類されている。マフラーやカモノハシは、定義から外れた例外の好例である。
目的のための分類
軽車両には、自転車、リヤカー、荷馬車、乗馬用馬などがあるが、道路運行に支障ないように自動車に対して、それ以外の車両を分けたように思える。
専門化の結果の分類
連続した世界を分類することを重視すると、硬直的な構造になる。学問の専門分化で学際的な課題に対応できない。医療の専門分化で、内科、皮膚科等いくつかの医院を渡り歩かなくてはならないが、もしかしてひとつの病気が原因かも知れない。
分類することは難しく、どこかで折り合いをつけてどちらかに入れなければいけないことがある。分類することを重視すると、硬直的な構造になる。世界は絶えず動いていて、新しい物が常に生まれているから、余計に分類は難しい。
社会が進歩するにつれて、専門的に分化していくことは必然の結果だろう。一方で全体をコントロールすることも重要に思われる。