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古書文化は崩壊の危機か

子どもの頃に読んだ本を処分することは、誰にもある共通の心の痛みのようだ。それが実家の処分とともに現実化する。

先日、実家の本を古書業者に持って行ってもらった話をしたら、同様の悩みを抱いている人からこんな言葉が届いた。
「気になっているのが、実家に置いてある図書類です。特に、小中学校時代に読んだ全集類を何とかできないかと考えているのですが…最後は諦めなければならないのかもしれませんが」

また別の人からは、こうあった。
「実家処分では、遠方で、また時間も限られていたため、書籍類はほとんど廃品回収業者に家具等といっしょに持って行ってもらいました。その後、古書市場に流れたかは不明ですが、今でも心が痛みます」

私も、父親から買ってもらった本や小遣いで買った本等を大量に古書業者に持って行ってもらった。ひとつひとつに思い出がある。小学校に入る前に初めて買ってもらった『うさぎの王子さま』というスペイン童話集、カタカナが読めなかった私にひらがなでルビをふってくれた講談社絵本の『子鹿物語』、何度も読み返した巌谷小波の歴史絵本、「五月の歌」の楽譜が載っている『モーツァルト』、毎月小遣いで買った平塚武二の『ものがたり日本れきし』全集・・・
そのうちのいくつかは捨てられずに持って帰った。

やはり、思い出の本を捨てるのはつらい。
だから、ある大手の古書業者から、バーコードやISBNのついた本しか値段がつかず、他は無料引取りしても廃棄すると言われると悲しさは一層強くなっていく。また、神田古書店街のある古書店に電話したら、新中古しか買い取らないと言われた。

売り手が欲しているのは、お金ではない。思い出の本が古書市場に出て、再び誰かに読んでもらうことだ。嘘でもいいから、有効に使いますと言ってほしい。

本にISBN(国際標準図書番号)がつき、書誌データを使い管理が簡単になったことが、古書ゴミ化に拍車をかけている。ISBNがついた古書だけで十分な量の古書資源になったということだろう。良かれと思い編み出されたISBNがそれがない古書にとって裏目に出ているとは。まさに日本の古書文化は、崩壊の危機にあるようだ。



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