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上野駅15番線ホーム
大宮を出た上野行の列車が15番線ホームに入って止まった。銀座線に乗り換えるために中央改札口に向かったが、啄木の歌碑があるのを思い出して、立ち止まって探した。歌碑が線路の途切れた端にあるのが、すぐに分かった。
ふるさとのなまり懐かし停車場の
人ごみの中にそを聴きにゆく
上野駅ほど上京のイメージを彷彿とさせる駅はない。特に、上野が終着駅だと分かるこの場所がよい。線路が途切れているのが、上野駅らしい。鉄道が高架になる今日、地面の上に敷かれた線路の風景は、鉄道が生まれた昔を思わせ、モネのサン・ラザール駅を彷彿とさせて好きだ。
「石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし」と歌った啄木にとっても、渋民村での悲しい思い出があるのだろうが、それでも故郷は懐かしいものだった。ふるさとのなまり懐かし停車場は、上京したすべての人に共通の心情だっただろう。
昭和30年代の経済成長期には、学校を卒業したばかりの若者たちが、ここで就職列車を降りて、東京での新生活を始めた。彼らを金の卵とよぶ言葉が流行った。上野駅の駅舎を出た構内には、井沢八郎のヒット曲『あゝ上野駅』の歌碑がある。「心の駅」という歌詞に上野駅140年の歴史(1883年開業)を感じる。
明治以降、上野駅は、地方と東京をつなぐ役割を果たしてきた。上京した人が最初の一歩を踏み出す場所であり、また、ここに立ち、地方を想う場所であり続けた。
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