二枚舌ねこの

はじめまして! 二枚舌ねこのと申します。青色とセーラーと女の子が好き。Twitter→@sinityoko イラストの依頼募集中です!基本アナログで描いております。お気軽にお声掛けください☺️

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最近の記事

コミュニケーション能力は既に決まっていたりする。

お久しぶりです、二枚舌ねこのです。 人間然り、生き物にはコミュニケーションが必要不可欠で、たぶんそれは義務教育みたいなものだと思う。大学の必修科目というか。 わたしの父方の従姉妹は幼少期から勉強漬けで、祖母の家に行くときも教材がめいっぱい詰め込んだ箱を和室にドカンと置いては、「これから勉強するから」と残してぴしゃんと戸を閉じた。 我が家の方針(?)では祖母の家(静岡でお隣なんですが)遠出するときくらい、遊んでいいからねといわれていたから、祖母の家に行く前にその分のベネッセ

    • 死ななくて良かったと思える日は来るのか

      ご無沙汰しています、ねこのです。 今日なんとなく家を出た時に、「あ、今日自殺しよっかな」って思って、やってくる電車を横目に見て、「今日も死ななかったなあ」って、なんとなく自殺行為はしなくて済んだ。 これって良いことなのかなあ。 私が生きてきた二十数年、いろんな死を見てきた。 病気、老衰、自殺。 でも、故人を思う気持ちって、24時間ずっとは無理なんですよね、悲しいことに人間は忘れる生き物だから、大小様々な悲しみや苦しみも、時間が薬となって癒してくれる。これは良いことなの

      • 数字は一定のバロメーターだが過信はできない。

        「2位じゃだめなんですか」とか、「100点取らなかったら無意味」「年収いくら?」とか、生きていく上でなにかとお世話になっているのが、数字だったりする。 少し笑ってしまうけれど、Twitterではフォロワーの多さを戦闘力だと思っているひとがいて、自分より少ないひとには大口叩いて、多いひとだと敬語みたいな、人間らしい人間がなんともいるものだ。 わたしは「星の王子さま」の本と出会ったのは、小学6年生の頃。王子さまも、数字は嫌いだったりする。 わたしは滅茶苦茶共感してしまって、数

        • 甘えとか、本人がこの世で1番知っている。

          まあTwitterのプロフにも書いているけれど、わたしは統合失調感情障害持ってます。陰性、陽性、どちらもあるタイプ。一応会話で齟齬は生まれないくらい、意思疎通はできているつもり。 わたしはたまにお絵描き配信したときに、 「障害もってますか?」 ってコメントが来てドキリとした。 べつに隠しているつもりもないからありのままを話したけれど、自分はうまーく健常者の真似ができていると思い込んでいたから、すごくびっくりした、いや悲しいとか不快感は自分でも面白いと思うくらい、負の感情

          嫌よ嫌よも好きなうちだと思ったか

          嫌いなものは嫌いなんですよ。 いやほんとに。 でもどこで嫌いなものが発生するのか、考えてみることにした。 否定的なことばかり云う、自己中すぎて周りに迷惑かけるやつ、誹謗中傷、悪口を云うやつ、同じ人間だと思いたくないやつ。 うーん、ちょいと抽象的だなあ。 もっと掘り下げてみようか。 わたしは絵を描くのがとても好きで、Twitterとかで絵を載せて、好きな絵描きさんと繋がるのが楽しいんだけれど、フォローしてから気づくこともある。 人間性。 素敵な絵を描いていたとして

          嫌よ嫌よも好きなうちだと思ったか

          生きる意味も見つけられなくてわたしきっと。

          生きている意味が見つからない! なんでわたし生きているの、 なんのために生きているの、 何をするために生まれてきたの、 わたしの使命ってなんなの。 視野が狭くなってきてる証拠だね、哀しい。 生理前だからまた情緒不安定になっているのか、だとしたら今まで飲んでた薬の意味ないじゃん、笑える。わらえないわ! 苦いの我慢して飲んでいたのに。 急に、ほんとうに急に「生きる意味」を見つけたくなる周期があって、今まさにってかんじ。 なんで生きているんだろうなあわたし。 社会人になって

          生きる意味も見つけられなくてわたしきっと。

          「頑張って」はたまに呪いの言葉になる

          応援している時に「頑張ってください!」って云うの、気がひける。なんでだろ。 そのひとはそのひとなりに頑張っているはずで、もしかしたら100%努力している状態で、それでわたしがそのひとに「頑張れ」って云うの、わりと酷だとおもわない? わたしはおもう。ネタで頑張れは云うけれど。 頑張れってなんか無責任な言葉のカテゴリに入っている気がしてきた。

          「頑張って」はたまに呪いの言葉になる

          差別って言葉自体が差別している

          さべつ【差別】 1.差をつけて扱うこと。わけへだて。 2.区別すること。けじめ。 男女差別とか人種差別とかいろんな「○○差別」があるけれど、わたしからしたらみんな「人間」なので、そうやって特別扱いを受けたいとか、蔑まれたくないとか、そういう感情はあんまり、ない。 弱い立場のフリをして、「これは不謹慎、やめるべき」とか、まじでうけるってかんじ。 嫌なら見なきゃいいのにさ、わざわざ見に行って「不快になったから謝れ」みたいな、なにそのクレーム。いみがわからない。それに謝ったらそ

          差別って言葉自体が差別している

          毒親だとわかったのはひとに指摘されてから。

          母親が毒親です。小さなときはのびのびと育ててくれたのかなって思ったけれど、冷静に考えるとそうではないってことがわかって、それもそれでつらい。 わたしは核家族だから、母方の祖母しか生きていない今、親が死んだらほぼ天涯孤独になる。 べつにそこは気にしていないからいいけれど。 だからわたしのことを理解してくれるのは親だけ、親であり友達、みたいな、そんな関係。だと思ってた。 子供に愚痴を云うのは毒親の特徴らしいです、毎日のように「大変だね」「そうなの? それはひどいね」って台本を

          毒親だとわかったのはひとに指摘されてから。

          人類のバグはきっとわたし。

          体内の癌が、細胞のバグだとしたら、わたしはきっと人類のバグだと思う。 精神病のみんなが思うのかはわからないけれど、少なくともわたしは死にたいと切に願う時がもう数えるのを諦めるほど思った。 普通は生存本能働くよね。死のうと思ってリスカしたことはないけれど、血を見て安心したいから切ったことは何回もあった。 自傷行為は生存本能を殺しにきているのかなあ。 よくわからないや。 ひとはみな生存本能があって、それを認識しようともせずに、普通に生きている。 生きてるってなにとか、哲学者

          人類のバグはきっとわたし。

          一生を約束されたようなもの

          ひとは誰しも、好きで病気になるわけじゃない。それがたとえ先天性のものだとしても。 なんといえばいいのか、とにかく、みんな健康でありたいと思っている。 精神薬って脳の活動を静かにさせるものが多いから、とにかく毎日が眠たい。そりゃそうだわな。 それで働けってんだから、障害者に優しくない日本の出来上がり。 ねむい、だるい、なにもしたくない。 そんなことを思いながら、またわたしは電車に乗りこむ。

          一生を約束されたようなもの

          きみの悪いゆめもわたしが全部食べてあげる。

          メンタルがアホかってくらいボロボロな今、希死念慮とか自傷衝動に駆られて、泣きそうなくらいにはメンタルが雑魚。 死にたくないけれど死にたいみたいな、馬鹿みたいな矛盾を胸に抱えたまま、1秒1秒が進んでいって、いつのまにか1時間が立つ。お手洗いに行って、また座って1時間、みたいな毎日。代わり映えのない平日で、平凡すぎて曜日感覚が狂いそう。まだ1週間折り返し地点だよわたし、これから先もちゃんと生きていける? ほんとうに?  わたしの場合なにかつらいことがあるとそれを回避しようってい

          きみの悪いゆめもわたしが全部食べてあげる。

          コロナのせいで無駄な外出やめろっていわれた。なんかコロナに初めてキレそうになった。

          コロナのせいで無駄な外出やめろっていわれた。なんかコロナに初めてキレそうになった。

          痛みとともに生きているって実感がわいた。

          突然のカミングアウトすると、わたし、リストカットしたことあります。 なんでしようかと思ったの、なんでなのかはよく覚えていないけれど。 でも断言できるのは、わたしは死のうと思ってリスカをしたことがないってこと。 イライラしたり、無気力になったりして、切って、流れる血とともに感じる痛みがなんともいえないくらいに、気持ちよかった。 真似しちゃダメだぞ、一生消えない傷になるから。 今は自傷行為していないかと云われればノーです。 手のひら内出血するくらいに爪で跡つけたり、血が出るま

          痛みとともに生きているって実感がわいた。

          ボタンひとつで縁が切れる世界線

          SNSでつながって、仲良くしてくれるフォロワーさん、本当に感謝です。今は自分の「好き」を文字通り「世界中」に発信できるから、世界中の自分の好きなものを同じく「好き」といってくれるひとが、この世界には何人もいるから、昔よりかは世界が広がった気がする、特にオタクとかは生きやすい世の中になっていると思う。 でも、そんな縁って、実は悲しいほどに、藁のように簡単にちぎれてしまう。「こんなひとだと思わなかった」って、勝手に自分が相手の像を作り出したくせに、そのギャップが無理になってしま

          ボタンひとつで縁が切れる世界線

          とても疲れた、生きるためなのに疲れたって、なんなの。

          とても疲れた、生きるためなのに疲れたって、なんなの。