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メイキング・オブ・私たちのエッセイ


シングルマザーズシスターフッドが5月と12月に実施しているキャンペーンでは、シングルマザーが自分の言葉でエッセイを執筆し、それを発表するということをしてきました。ここで発表されるエッセイには、実は、執筆者だけではなく、たくさんの人が関わっています。

エッセイの第一校が出来上がってきたら、校正チームがじっくり読み込んで、わかりにくい箇所や意味を確認したい箇所を指摘し、場合によっては、表現の提案もしたりします。執筆者と校正者が何度もやりとりをしながら、エッセイが作り上げられていくのです。

こうしてエッセイという一つの作品を手間をかけて作り上げることで、その人が持っているものが結晶化される、そのプロセスそのものに意味があるということを、関わった全員が実感しました。

そこで今回、執筆と校正を経験したえりさん&いくさんの2人が「エッセイが完成するまでのプロセスを、じっくり振り返って考察したい」ということで「メイキング・オブ・私たちのエッセイ」と題して対談をしました。

スピーカー紹介

えり
こんにちは!えりです。2年前に子どもをひとりで育てる決意をしました。普段は大学院で学生として勉強をしています. 前回のMother's Dayキャンペーンと今回のキャンペーンでエッセイを執筆しました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

いく
ひとり親になって1年ちょっと、いくです。子どもふたりと3人暮らし、フルタイムの会社員です。2回のキャンペーンで校正スタッフとして参加をしました。よろしくお願いいたします。

寄付月間キャンペーンでのふたりの書いたエッセイ

執筆してみてどうだった?

えり:冬のキャンペーンお疲れ様でした!どのエッセイも読み応えたっぷりで毎日楽しみにしていました!さて今回はエッセイというコンテンツだけでなく、その裏側も知ってほしいというわたしたちの熱い思いで、この対談を企画しました!

いく:今回は、メイキング・オブ・私たちのエッセイ!!企画ということなので、どうやってエッセイが出来上がっていくのか、裏側の様子や、そこで感じた気持ちをお伝えします。えりさん、エッセイ執筆お疲れさまでした。エッセイを執筆してみてどうでしたか?

執筆して気づいた過去と現在のつながり

えり: エッセイ執筆を終え1カ月が経ちましたが、まだ余韻の中にいる感覚があります。今回のエッセイは自分の過去と向き合うことが必要な内容だったのですが、それはわたしにとって思い出したくない過去でもありました。しかし、執筆することによって、今の自分はその過去によって成り立っているということを実感しました。当たり前なのですが時間の連続性に気づきました。自分の途切れていた時間を取り戻した感覚といったらわかりやすいのかな。

いく: 途切れていた時間を取り戻す感覚。思い出したくない過去と向き合うって、つらくないですか?しかもそのエッセイを、世の中に公開する、すごい勇気だと思います。

えり: おそらく一人では出来なかったことだと今でも思います。エッセイ執筆前は、つらいことには向き合わずに、その過去はなかったこととしてこれからの人生楽しんでいこうという気持ちでした。

シスターフッド的校正

いく: 今回、執筆者と校正者の関わりについて、執筆者の立場からの感想を聞いてみたかったんですが、えりさんにとって、キャンペーンの校正って、どうでしたか?

えり: ひとりでは向き合えないようなつらい過去を共に向き合ってくれるパートナーとでもいったらよいのでしょうか。ひとりで過去に向き合うことは過去の経験が今の自分を攻撃してくることもあり、到底ひとりでは向き合うことはできません。例えば自分が責められている場面を書いているとひとりでは、「やはり自分が悪かったかのかもしれない」などと自分をそこでむやみに責めてしまったりすることがあります。しかし、校正者はそこを「あなたは悪くないよ」といってくれる、そんな心強いパートナーです。

いく: 校正者がパートナー。シングルマザーズシスターフッド的!実は、最初に私が校正者に手を挙げたのは、執筆者はできないな、ファンドレイジングも難しそう、じゃあ、残っている校正者としてなら、キャンペーンに関われるかな?という消去法で残ったからなんです。仕事でも少し校正をすることがあるので、これだったらできるかなと。

えり: お仕事でも校正をされていたのですね!

いく: けど、仕事の校正とは全然違うものでした。仕事の校正って、いわゆる誤字脱字を直していく文字校正、その他表記のブレとかを統一するっていうような、作業のようなもののイメージ。それに加えて、矛盾点は無いかなどを確認する校閲の部分も大事かなとは思ってて。

けど、シングルマザーズシスターフッドの2回のキャンペーンの校正者の役割って、それだけじゃ終わらなくて。

えり: そうですよね、シスターフッドでの校正者の役割ってどんなものだと思いますか?

いく: 私もよくわかってないんです。けど、もともとMother's Dayキャンペーンは、インタビューをしてそこからエッセイにするっていう企画でしたよね?その時に講座を開いてくださったたまいこさんからのアドバイスとか、読み手にとって読みやすいか、情景が浮かぶ・イメージできる表現か、とかも大事にしてコメント入れるようになっていったんです。やりながらみんなで作っていったスタイルが12月の寄付月間キャンペーンにもつながっていて、今の形になっていると思います。

基本2名、複数のスタッフがエッセイの校正をしますが、ドキュメントのやり取りは、交換日記のよう。受け取る瞬間、渡す瞬間、いつもワクワクしてました。

えり: 戸惑いはありませんでしたか?例えば、他の人の過去を聞くことに抵抗はなかったのでしょうか。校正者も苦しくならないのかなと心配でした。

いく: 戸惑いや抵抗はなくて、むしろ執筆者さんを好きになっていく過程だったかと思います。執筆者さんの知らなかった一面をどんどん知る、掘り下げていく、執筆者と校正者のドキュメントのやり取りって、不思議なプロセスですよね。

エッセイを書くという行為の意味

いく: えりさんのエッセイ、一度は思い切って削除しようとされていた内容があったんですよね。あの時、私は「あっ、削除になるんだ。たしかにこの部分は刺激が強いしな。でもえりさんの今の想いに至るには、こんな経験があったからなのか」と思ったんです。そこを、「削除しよう」から「残そう」と変わったのって、どんな心境の変化だったんですか?

えり: 「削除しようと考えています」とコメントしたときに、はじめていくみさんがここをもっと読んでみたいといってくれたんです。それほどハッピーな内容でもないのにここを読んでみたい、ほかのみんなにも読んでほしいと思ってくれる人がいるんだ!とちょっと衝撃でした。そこから他のメンバーも内容を見てくれて、ここはえりさんにしか書けないことだから書いてほしいというコメントなどもいただき、深めてみようと思いました。

いく: 何度も何度も修正を重ね、深めましたよね。何回修正しましたっけ?えりさんの持つパワーですね。

えり:私の力だけではないです!!何度も何度もつき合ってくれた校正者との相互作用から生まれたものだと思います。やりとりをする中で支えられているという感覚は強くなるし、信頼関係も深くなるので校正者さんの思いに応えたいという思いもでてきました。

えり: これを世に出したら「シングルマザーのくせに節税なんて生意気な」とか、「誰のせいでメシ食えてたんだよ」という声が聞こえてきそうと勝手に思い込んでおびえてました。だから、はじめは当たり障りないような内容でまとめようかなと思っていました。でも校正者さんからのコメントをもらうたびに、ここを書くには過去をふりかえらなくては書けないという壁にぶつかり、だんだんと過去に向き合わないと本当の自分に近づけないことがわかったのです。

いく:エッセイを書くことで、本当の自分に近づいていった。

えり:そう。「今」ここにいる自分というのは当たり前だけど過去からずっとつながっているんだよね。だから過去のつらい思い出をなかったことにするというのは自分の一部がかけているということなんだということに気づいたんだよ。やり取りの中で何度も何度も過去の経験を再体験していくうちに、過去の経験があるから今があるし、その原体験が未来を描く原動力にもなると新たな意味付けすることができるようになったのです。

いく: 私は2回のキャンペーンスタッフとして活動したのですが、最初のキャンペーンの時は離婚して半年しかたっていなかったから?自分の中で消化できてなくて、「離婚した、母としての私」の姿に向き合うことができなかったんですよね。一度は書こうかなとも思ったんだけど、やっぱり人様に読んでいただくのはまだ怖いと思っちゃいました。

Mother’s Dayキャンペーン2021の最後に、「アリーナに立つ人を讃える」ってマコさんからのメッセージがあって、あー、私はアリーナに立てなかったなって感覚が、モヤっと残ってたんです。12月のキャンペーンの際にエッセイを書いてみてそのことを思い出しました。

えり: アリーナに立てなかった、というもやもや、そんなことがあったんですね!!いくみさんがやり取りの中で家を買おうと思っているという話があって、その話もっと聞きたいと思いました。シングルマザーが家を買うってそれこそこれまでのシングルマザーのストーリーにはあまり出てこない話で、多様性という点からもみなさんに伝えたいなと思いました!

いく: えりさんエッセイの校正のやり取りの中で、私の「家を買いたい」話も詳しく聞きたいと言ってもらって、気が付いたら、一気にエッセイまとめていましたね。もちろん最初はえりさんに読んでもらっておしまいのつもりでした。みんなに読んでもらって、反応があって、コメントをいただいて、うれしかったし、心強かったですね。

えり:あのいくみさんのエッセイには当時のチームの盛り上がりが反映されていて力強さを感じました。お互いに相互作用しあって、どんどんよいものが生まれていくそんな過程だったなと思います!これは絶対に世に出してみんなに読んでもらいたいと思っていたので、わたしも本当に嬉しかったです!いくみさんは前回、「アリーナに立てなかったなって感覚が、モヤっと残ってた」とおしゃていましたが、今回、エッセイの投稿を経てその感覚は変化しましたか?

いく: エッセイを投稿してみて、そうですね、アリーナに飛び込んだ!感覚です。読んでくれた友人からのコメントが嬉しかったり、楽しさの方が勝りました。エッセイを投稿するとなった時は、やっぱり少し怖さがありました。万が一、元夫の目に触れたらどうなるだろう、とか。反応が何もなかったら、それはそれで少しへこむかもしれないとか、ネガティブな想像による怖さですね。でも、案外そんなことは気にしなくていいのかと、いい意味で楽観的になることができて、一歩踏み出せました。スタッフの皆さんの言葉が背中を押してくれたと思います。

いく: エッセイを書くという行為について、以前えりさんが参考文献(藤澤三佳「生きづらさの自己表現」~アートによってよみがえる「生」~晃洋出版 2014)を紹介してくれましたよね。キャンペーンを経験して、今どう感じていますか?

えり: 前回のMother’s Dayキャンペーンのあとにこの本と出会い、そのときに私たちがキャンペーンで取り組んできた表現活動とはまさしくこのことだと思いました。

藤澤三佳さんの「生きづらさの自己表現」において以下の4点について述べられています。

①作品づくりそれ自身がたとえ自分の暗部をさらすことであっても人間が根源的にもっている表現衝動をわがものとして取り戻すものである
②あいまいだった生きづらさの経験を意味あるものとし自己自身について再叙述を行う契機である
③ともに制作する仲間や作品を鑑賞するオーディエンスとしての関係など他者との関係を組み直すことにつながる
④それがまた自己の承認や再叙述にはねかえっていき、「自分という他者」を発見していく営みとなる

このような自分の人生を改めて意味付けし、本来人間がもっている自己表現の欲求、もっといえば「生」の感覚を取り戻す過程は今回の冬のキャンペーンでも多く見られたのではないかなと思います。

いく:「自分という他者」を発見する、たしかにエッセイを書いていると「自分にはこんな価値観があったんだ」と再認識しましたね。生きづらさの経験を経て、でも私ってこんな人間だったと、今の等身大の自分自身を認めることができました。

えり: シスターフッドの執筆はひとりではなく仲間ともに行うことがポイントだと思っています。ピアサポートとは仲間支援のことであり、共通の経験を有する仲間が提供する支援を指します。ピアサポートによる効果は様々な研究で実証されており、仲間と体験や感情を共有することで安心感や自己肯定感を得ることができるとされています(社団法人日本精神保健福祉士協会ほか2004)

つらかった経験、自分の暗部となることを振り返り新たな意味付けをすることは1人では勇気がいるし、そのような機会もあまりないものです。だからこそキャンペーンという機会と同じ体験や感情を共有する仲間と出会い一緒に作り上げていく過程というものが必要であると考えます。

「生きづらさ」を軽減できるような施策を

シングルマザーの「生きづらさ」に対する諸要因を神原文子氏(神戸学院大学教授)は、『子づれシングルの社会学』(2020)において、「絶望感」「疲弊感」「重圧感」という3つの要素とこれらに影響する諸要因として「生活諸資源の欠如」「適切なつながりの欠如」「存在価値不確か」を挙げています。そして、行政の4本柱(①子育て・生活支援 ②就業支援 ③養育費確保支援 ④経済的支援)による自立支援策に加えて、「生きづらさ」を軽減できるような施策が積極的に講じられるならばシングルマザーの自立の可能性が高まると述べています。

このキャンペーンによるシングルマザーのエッセイ執筆という行為は神原氏の指摘している「適切なつながりの欠如」・「存在価値不確か」にアプローチするものだったのではないかと思いました。多くのシングルマザーの生きづらさから少しでも解放されるように、シングルマザーズシスターフッドはこれからもその人のもつ力を信じて活動を続けていきたいと思います。


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