Be simple
執筆者 かむな
「ママは天真爛漫やね」18歳の次男は、私のことをそう言います。
今から11年前と5年前の2回、私には酸っぱいレモンのような人生の試練が飛んできました。でも、そのレモンが甘くて爽やかなレモネードになった今は、人生はいろんなことが起こっておもしろいと思えるようになりました。次男には、その姿が無邪気に好きなことをやっているママのように見えたのかもしれません。
ふわっと始める
次男の言葉通り、今は気になったことをふわっと始めては、おもしろい世界を見つけることがよくあります。シングルマザーズシスターフッドとの出会いもその一つです。2年前、流し見をしていたツイッターでセルフケア講座の投稿が目に止まりました。オンラインツールがうまく使えなかったらどうしようと心配しながらも、やってみたい!と勇気を出して申し込んだ先には、パソコンの画面越しで一緒にストレッチをするシングルマザーのあたたかいコミュニティの世界が広がっていました。
ふわっと始めたことがもう一つあります。26歳になった長男が、親子で喋るラジオを録らないかと言ってきたのです。私がラジオで喋る?自分たちでラジオを作る?何をどうしていいか想像がつかないまま、長男が言う通りにiPhoneの録音ボタンを押し、タイトルコール「ユ-センスFM~」と吹き込む。収録して配信をすると、日本のどこかで誰かが私達の話を聞いてくれる。長男が私を「私の知らない世界」に連れて行ってくれました。
親子でラジオで喋るテーマは、中学生だった頃の長男の不登校のこと。これが、私に飛んできた2個あるうちの1個目の大きなレモンでした。
2個のレモンは突然やってきた
11年前、中3の5月に長男は突然「もう学校は行かない」と言い出しました。その日から毎朝、頭から布団を被っている長男に「学校行くの?」とキンキン声で叩き起こし、玄関で立ちすくむ制服姿の背中を無理に押したこともありました。長男は「ニートになるしかない。人生詰んだ」とリビングで泣いていました。
高校、大学を卒業し就職して、安定した生活をするのが当たり前と思っていた私は、このまま一生部屋に閉じこもってしまうかもしれないと思うと、出口のない真っ暗なトンネルの中に立ちすくんでいるようでした。普通にみんなと一緒の進路に進んでほしいという願いだけだったのに、「自分のしたいことができない学校になんの意味があるんだ!」と長男は真っ向から私にNOを突きつけてきました。
そして、2個目の特大レモンは夫との離婚。長男の不登校から5年後のことでした。単身赴任だった夫が突然自らの不貞を告白し、それでも我が家に戻りたいと言い出しました。頭の中に「私1人で子どもを育てていける?」と浮かんできましたが、"リコン"の3文字はまだ私には想像できない遠い世界のことでした。今まで絶対に崩れないと思っていた4人家族の積み木が一瞬でガラガラと崩れていきました。
シンプルで身軽な「わたし」に
長男はほぼ1年間中学校に行かないまま卒業し、夫とは離婚成立まで1年半の年月がかかりました。不登校の時期や離婚までの期間は、何の解決もしないまま、ただ淡々と仕事と家事と子育てに忙しい毎日を送りました。
自分ではどうにもできない時間が流れると、「なんとかなるのを待つしかない、考えても何も変わらない」と開き直って気軽に構えるようになりました。長男の不登校については、半年ほど経つと、長男には長男の思いがあって、親子であっても私の価値観とは違っていいと受け入れられるようになりました。
我が家は子ども達の就職や進学、母の介護もあり目まぐるしく、一緒に暮らす人数が変わりました。その中で、家族の形は変わってもいいし、バラバラに住んでいてもいい。家族としてのつながりを持っていれば形なんてどうでもいいものだと思いました。
不思議なことに、あきらめると何か肩に乗っていたものが落ちていくように、身体も気持ちもフットワークも軽くなりました。1人で湖畔のカフェでランチを食べたり、1人で映画に行くことが楽しみになりました。不登校の子どものこと、夫のことなどを忘れることができた時間は、「わたし」に戻れる時間でもありました。
この5年の間に夫と離婚をして私は妻でなくなり、母が亡くなって子どもでもなくなりました。長男の不登校を通して、親子と言っても別の人間と切り離して考えるようにもなりました。私の人生には失ったものもたくさんあるけれど、減ったからこそ身軽になってシンプルに自分の暮らしのことを考えるようになったと思っています。
私の人生、うまくいかなかったことも大変だったこともあったけれど「でも、今は楽しそう。よかったね。」と、いつのまにか変わってきている気がしています。