ヘルメットに怯えてた初めてのひとり暮らし
カーテンの隙間から漏れる信号機の黄色点滅。
深夜24時を過ぎると点滅しだす信号機の光に気づき、あぁ、もうこんな時刻なんだと自覚する。
道の片隅にはまだしっかりと根雪がある。
住み慣れた地元では、もうとっくに春の訪れを感じる頃なのに、ここではもう少し時間がかかりそうだ。時折容赦なく吹き付ける凍てついた風は、窓ガラスをガタガタ揺らして音を鳴らす。どこからともなく侵入してくる隙間風を感じながら、背中を丸くして暖を取る。
新大学生になった僕は長年住んだ故郷を離れ、冬にはしっかり雪が降り積もる遠い街に移り住みました。もう34年も前の話。
築年数は40年近く経っていたであろう木造のアパートは、和式のトイレこそあったものの、当然お風呂はついていなかった。勿論、冷暖房の完備なんてない。だから家賃はたったの1万9000円。これだけは魅力的だった。お金がなかったこともあり、学校で紹介されてた物件を「これだ!!」と確信し、下見をしないまま直接大家さんに電話して、その場で契約しました。
日が暮れると、服の上からでも痛さを感じるほどの凍てついた風にさらされながら、五、六分歩いたところにある昔ながらの銭湯へ通う。その帰り道に小さな酒屋さんに立ち寄り、ワンカップの日本酒を手に取る。裏底に小さな穴が空いていて、付属の細い棒をプスッと差し込むと瞬時に燗がつくんだ。
「かぁーっ!!」と自然に声が漏れる。
これだけが至福の時間だ。
こうして僕のひとり暮らしがはじまりました。
6畳の和室と僅か1畳分の台所。
部屋には大きな窓がなく、少し縦長の歪な窓があるだけ。母が送ってくれたカーテンも、残念ながら寸足らずで、どうしても下の10cmくらいを覆い隠せない。部屋が1階だったこともあり、余計に気になリました。でも、下見を怠って決めてしまったので、致し方なしと腹を括るしかなかった。
部屋には全く物が無い。
14型の安っぽい真っ赤なブラウン管テレビと、ホームセンターで買って来た組み立て式の小さなテレビ台。それと、1人用の炬燵があるだけ。ベットなんて洒落たなものはなく、寝るときは押し入れにしまってある布団を引きづり出して、寒さを感じながらもぬくぬくと丸まって寝る。そんな絵に描いたようなシンプルな生活だった。
台所のシンクの上には磨りガラスの窓があり、目の前を行き交う住人の頭が透けて見える。シンクのすぐ隣は玄関になっていて、靴を脱ぐだけの小さな四角いスペースがあるだけ。
土曜日のある日、炬燵にあたりながら、いつものように寝っ転がってぼんやりテレビを観ていると、ドンドンドンと玄関のドアを叩く音がする。
「お荷物でーす」
ドアを開けると段ボール箱を抱えた若い青年が立っていた。
「お荷物です、ここに判子をお願いします」
判子なんて持っていないと答えると、笑顔で「サインでも大丈夫っす」と。
荷物は実家の母からだった。
果物とお米、それとなぜかハサミが入っていた。
有難いと感じながらも、炊飯器を持っていなかた僕はどうして良いものかと思案しましたが、それよりも、なぜハサミが同封されていたのか、どうしても理解できない。
すると再び、ドンドンドンとドアを叩く音がする。
台所の磨りガラス窓からは、ヘルメットを被った男の姿が見える。誰だろう、また宅配便かなと思い不用意にドアを開けてしまった。
「NHK料金の集金です!」
「ありゃ、、、、、しまった」
引っ越してきたばかりだからテレビがない、という言い訳は通じるだろうか。いや待て、玄関からテレビが丸見えではないか。しかもしっかり大河ドラマが再放送されている。
言い返す言葉が見つからない。
観念して財布を取り出し、なけなしのお札を支払った。
取り立てに来た男は、ヘルメットを深く被り紺色の服を着ている。肩から鞄の紐をハスに襷掛けしており、ふっくらとした鞄はまるで武器でも入っているかのように、鈍く妖艶な光を放っていた。
中年で無愛想、余計な言葉を一言も発しない無口な印象。
ちょうど今の僕くらいの年齢だった。
銀行引き落としの手続き方法が記載された申込書を僕に渡すと、まるでカモでも捕まえたかのようにニヤリと微笑んで立ち去って行った。
それからというもの、台所のガラスに映るヘルメットが気になりはじめた。食器を洗っているときにヘルメットが横切ると、咄嗟にさっと身を屈めてしまう。ドンドンドンとノックされないと、ホッとして自然と肩をなで下ろす。
以前渡された銀行引き落としの申込書。未だに手続きをしていない。いや、する気なて全然なかった。だから、時折見かけるヘルメットには敏感になっていた。今日もどこかの部屋を取り立てているのだろう。ニヤリとした不気味さを残して住人を怖がらせているに違いない。
あれから何度かドンドンドンを経験した。
でも決まって居留守を使い息を潜めました。
ヘルメットは居留守だと感じたのでろう、裏側に回り込んだ気配がする。きっと僕の部屋を眺めているんだ。寸足らずのカーテンが間違いなく仇となっている。
だから窓枠の下に寝転がる。
たとえ覗かれたとしても死角になって発見されない。10分くらいの辛抱だ。戦時中、防空壕で息を潜める住人のように、僕はヘルメットから逃れる術を身に付けた。
ドンドンドンが空襲の爆発音と重なる。
大学を卒業して25年くらいたった頃、再びこの街に移り住むことになった。この街に来ると、今でもヘルメットが気になってしまう。これだけ時が経っても身体が記憶しているんだ。
記憶を辿り、当時の木造アパートに赴いてみると、そこには既に大きなマンションが建っていました。立派なオートロック式の最新式建物で、当時の面影もへったくりもない。
このマンションの住人は、ヘルメットに怯えることなんてないんだろうな。
いや、嘗てここにヘルメットに怯えていた住人がいたことなんて、誰も知る由もない。
メディアパルさんの企画”ひとり暮らしのエピソード”に寄せて。
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