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離婚後の辛さからどうやって回復できたか

離婚後の苦しみは1年続いた。離婚するまでの苦しみは2人の関係をどうするか迷い、離婚後は後悔の連続だった。あの時こうしていれば回避できたかもしれない。あの一言にこう返答していればこうはならなかったかもしれない。あの時に誰かに相談していれば。どんどん後悔が押し寄せる。夜も眠れず、意味のない動画をスマホで何時間もみる。夜布団の中で何時間も動画をみて、絶対に目に悪いと分かっていても、もうどうにでもなれとやけになっていた。

自分の苦しさばかり考えていたが、自らの行動を反省して初めて彼の気持ちを考えるようになった。ぎくしゃくした特になぜそれを考えなかったのか。ぎくしゃくする前もそうだ。そもそも彼の気持ちを考えていなかった。考えているふりして自分の気持ちという眼鏡を通して彼を見ていた。

純粋に彼の苦しさを想像した時、より苦しさが増した。

元の家族から離れ、都心から遠いところで1人で暮らし始めた彼。狭いキッチンと6畳一間での新生活。家電家具を1人で買いに行き、散歩して生活エリアに馴染んでいく。夜は寂しくて電気を消して寝ることができなかったと言っていた。その彼をまた暗闇に突き落としてしまった。家電家具も捨てさせてしまった。残酷である。立ち直ろうを頑張って新しい生活を始めたに違いない彼の過去。新しく出会って伴侶と決めた一番の理解者のはずの私が離れていこうとする。拒絶され、否定され、ショックだったと思う。別れ話を出したときに一緒にいたいといっていてくれたことばがずっと私の頭の中でこだまする。私は許さなかった人。

私は彼を憎んではいない。どうやって仲の良かった状態に戻ればいいのか分からなかった。彼をどうやって幸せにしてあげれるか分からなくなった。既に自分についてしまったレッテルをどうやって剥がせるか分からなかった。もう彼とはうまくやっていける気がしなかった。諦めてしまった。

お互いがお互いを誤解した。お互いに誤解を与えた。そしてそれは2人の間で微妙にタイミングがずれる。相手が心を開いたとき私は開けず、その逆もある。一番悲しませたくない人、一番苦しめたくない人に結局一番辛い思いをさせてしまった。

後悔で押しつぶされそうな毎日だったが、1年が経ち少し状況が変わってきた。毎日考えていたことを数日は思い出さなくなり、1週間忘れ、少しずつ気持ちが回復してきた。時が解決する、というのはよく言われるが正しい。過去に何度もその経験がある。その時がやって来たのかも知れない。そろそろ日常を取り戻せるかも…と思って安心したところで、ぶり返す。そんな波が寄せて返す。

仕事が上手くいかなくなった時、風邪をひいて弱っているとき、人とやりとりしていて自分の嫌いな部分が出てしまった時など、あれよあれよという間に元の沼に落ちていく。自分が彼にしたひどいこと、素直になればどこかのタイミングで離婚を防げたはずという後悔に襲われる。苦しくて涙が止まらなくなる。一瞬にして情緒不安定。

会社の先輩で離婚した際にパニック障害になり、飛行機に乗っている間にその発作に襲われ、それ以来飛行機にのれないという人がいた。私自身も自分でコントロールできないこの感情がそこまで悪化するかもしれないと怖かった。

がしかし、はっきりと回復したと思えた時がきた。
どうやってトンネルを抜けたかと言うと、それは単なる発想の転換だった。

「こうしていればこうならなかったかも、避けられたかも」という考えが
「どうやっても避けられなかった、遅かれ早かれこうなった」と理解できたからである。

意地を張らなければ、素直に気持ちを話せていたら、相手を思いやっていれば、話し合いをしていれば…が後悔の要因だった。なのでちょっとしたことで結果が変えられたのにと悔しかった。しかし、離婚を通して自分の根本が見えてきて、結局どうあがいてもこの先も長く一緒にいるのは難しかったと悟った。

結婚生活をちゃんと営んでいたと思っていたが、実は全然できていなかった。その原因は私のおごり高ぶりだと思う。

我慢している。
許可を与えている。
自分が譲っている。

全てにこの気持ちがあった。

私が彼を大好きであるということは伝わっていたと思う。仕事と家事を両立していたことも、基本は彼を優先していたことも。具体的には、家事をやり、買い物をし、お弁当もつくり、彼が何かやりたいといえば、いいよといって止めたことはなかった。彼を置いて旅行に行くこともなかった。ちゃんとやっていたと思うこの自負があだとなっていた。

この彼のためにやっていた。の間違い。

それは、自分の不快感は相手は悪く、いつも私は我慢している。我慢に対して感謝されないと思っていた。それは独りよがりである。相手を雰囲気で追い詰める。

あの時、結婚を継続していても私はこの結論にたどり着けなかったと思う。彼が家をでたことや浮気への疑いがまたより一層私を上から目線な態度にしていた。

彼が悩んでいたことに目は向けず、自分は彼のためにやってあげている、いつも我慢しているという勘違い。味方のはずの、家族であるはずのを彼を日々小さく拒絶してきたと思う。そんな自分に気が付いていなかった。そして仕事のストレスと自分が中心と考えてしまう自分の弱さも一因だろう。自分の弱さの克服なしには結婚の継続は難しい。

放っておくと無意識に自分を好き過ぎてしまう。私は彼が無条件で私を好きでいて欲しかった。労わって欲しかった。気にかけていて欲しかった。それは彼も同じだっただろう。全部が自分中心で自分の尺度。これは一方的ではなく彼も私に対して同じだったと思う。表向きは上手くいっていたけれど、いつの間にかお互い9割自分基準になり、解消されないストレスをためていた。

立ち止まって、話し合って、それを埋めることができたなら、結果は変わっていたかもしれない。しかし私にその力はなかった。小手先であの時対応や言葉が違うものであれば一時的には避けることができたと思う。しかしそれは一時的。それかずっと不満をもちつつ耐える(耐えるという発想自体が自分の間違った思考)しかなかった。

離婚は避けられなかった。
これが、私が離婚の苦しみから回復した落ち着きどころ。

人の気持ちを考えるということが不足して生きてきた。恋愛している時だけ、相手が自分に優しくしてくれている時だけ、相手に気持ちを優先(自分は我慢)してきた気がする。心から相手の気持ちを考えるという習慣がなかった。こんな致命的なことをこの年になって気が付くとは。

私はコミュニケーションが上手くできない人である。それが薄々分かってからは人とのやりとりを極力避けるようになった。本当に気心知れた友達としか関わらなくなった。仕事ではそうはいかないのでストレスが膨大だった。苦手を避けてきたけれど、自分が変わらなければいけない。このままではいけない。残りの人生で自分の苦手に向き合おう!

自分で自分に責任をもたないと、相手を幸せにはできない。過去を何度も頭の中で反芻したが、それでも過去は変えられない。やっと前を向き、残りの人生を大切にすること誓い、闇から脱することができた。長かった…
そして1つ視野を失うという大きな損失も負ってしまった。それでも今、自分の人生のこのターニングポイントがあったことに心から喜んでいる。

自分がどう変わったかは、続いて書いていくことにしよう。

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