日常のささいな会話や行動には愛がある。ということに気がついた日
ここでは、離婚のこと、おひとり老後の備えのこと、日々感じていることをnoteしています。今回はその7回目。
前回は旦那さんが私にとって最愛の人だった、という話をした。本人にも伝えた。そしてその5か月後事態は急展開し、離婚した。最愛の人と言った時の私は平和で幸せだった。けれど、たった数週間でそうではなくなった。正確にいうと最愛の人のままではあった。状況がそんなことをいっている場合ではなくなってしまっただけ。正常なら、最愛=一緒にいたい。しかし、最愛=そばにいると辛い。でしかなかった。あなたが幸せならそれでいい。というのは紛れもない本心。でもそれは今から思うと自己防衛だったと思う。自己防衛といえば、彼は彼でSOSを出していたと冷静になると分かる。二人ともいい年をして未熟だったんだ。
仮面夫婦という言葉を聞いて、え?そんな人いるの?と思ったけれど、こんなことになってからは、1つの空間に一緒に暮らしていても、ぎこちなさMAXでお互いがお互いの存在に触れないようにしていたような気がする。仮面夫婦ってこれか、と思った。これまでのささいな会話ややりとりには愛があったんだと気づかされた。仮面であり、疑いしかない相手の行動に苦しんでいたのだが、とうとう限界点がきた。
前回予告した、1つ目は地震、2つ目はワクチンだ。
最近東京は地震が多い。少し大きめの地震があると、彼は必ずLINEをくれた。彼は泊まり勤務があり、私が家で一人になる夜がある。
LINEをもらうといつも、なんて優しい旦那さんなんだろうと思う。そうやって一番に心配してくれる人がいるというのは幸せを感じる瞬間だ。私からもそういうことをもっとすればよかったと後悔してしまう。私は合理主義的なところがあり、あ、これくらいの地震だったら大丈夫ね。仕事中だし連絡する方が迷惑かもと考えて何もしないことが多かった。でも自分がされて嬉しいことは相手もされて嬉しいはずだった。その時は気が付けなかった。
後悔することは数えきれないほどあるのだが、とりあえず先に進む。
ある夜、大きめの地震があった。彼はお風呂に入っていて、でてきたところで「地震大丈夫だった?」と聞いた。その頃は既に関係が怪しくなっていたので、前述した通り相手を心配する=喜んでくれる、という方程式に頭がなっていた。彼は地震には気が付かなかったと言った。
しかし、次に彼がとった行動は、急いで着替えLINEをしたのだ。お菓子作りが好きな字がきれいな例の彼女に「地震大丈夫だった?」と送ったと想像した私は勘違いだろうか?私はこの推測は間違っていないと思う。それは彼がどんな性格か知っているから。
自分に向けられていた愛情は、もう矢印がこちらを向いていないと突き付けられた。グサリと胸を一突きされた思いだった。
そして、決定的だったのがワクチンだ。彼はワクチンを打った日の夜、副作用で熱を出し苦しんでいた。夕方からは辛そうでずっと寝ていた。私は自分がそういう状態の時は何度も熱を測ってしまうのだが、彼はそれを何度測っても変わらないし、自分の感覚で熱があるかどうか分かるからと言って熱を測らない人だった。しかしその夜は何度も何度も熱を測っていた。一夜が明けて朝には熱が下がったようだった。朝7時。彼は出かける支度を始めた。その日は週末で彼も私も休みだったのに。1日あんなに苦しんで、それでも出かけたいんだ。支度をしている姿に胸が締め付けられた。ウォークインクローゼットを覗くと、LINEをしている彼。出た!10年前、脱衣所でこそこそ電話していた彼と一緒。あなたもなのね。全く同じ。今好きと思う人を、私がここにいるのに平気で優先する。
こそこそしてるのだから平気ではないのは分かる。でも形ばかりの関係の人より、心の中の大切な人を見ているのは確かだった。
これで終わりだと思った。
彼は7時半に家を出て行った。10分後、私は「離婚したい」とLINEした。