詩『隣の仕合わせ』
『隣の仕合わせ』
博多発の新幹線
二人掛けの席に偶然
座り合わせた、だけのお爺さん
約5時間も、話を聞いた
(いや、聞かされた👊)
生まれ育った田舎のことや
厳しかった両親の愚痴
世話になった大学の先輩
運に恵まれた会社のこと
少し照れて結婚の逸話
子供や孫の自慢話
親の介護の苦労と死後と
いろんな持病と近況までも
新横浜を通過してから
トイレに行って荷物をまとめる
そしたらそっと名刺を貰う
わたしは見ずにポッケにしまう
東京駅の銀の鈴
ポッケの名刺をじっくり見たら
そこにはわたしの名前があった
どうりでみんな知ってる訳だ
めぐり会いが人生で
合わせてやっと仕合わせになる?
それは、隣の仕合わせ、みたい
知らない振りして、ちゃんと居る
余命の宣告、受けたから
最後の旅行で「東京」に来た
わたしが夢を追いかけた場所
あきらめたから、手にした、
隣の仕合わせ………
仕合わせ。
幸せではなく、なぜ?この漢字を使うのかを徹底的に調べて意味を理解してくると、やはりイメージは隣合わせにベンチに座った映像になりました。
二つが合わさることが仕合わせ。
それは感謝の気持ちでもある。
それは恋人や夫婦や友達でも良かったのですが、その二人がどちらも自分だったら…と考えてしまいました。
若い頃に夢見た自分と現実を生きた自分。
二つの人生。
どちらの道が本当に幸せだったのか?
自分の選択は正しかったのか?
そんな問い掛けをしてみたくなったのです。
そうです。
どちらかが正解ではありません。
二つは表と裏、光と影。
人はマルチバースな人生を生きていると思います。
完成度は大不満足ですが、企画に参加します。笑