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続・えらいこっちゃ

 先週、仕事帰りに花を買ったら思いがけないサービスを受けた。
 その夜、嬉しかった気持ちと、2009年にプロレスラーの三沢光晴選手が亡くなった時の献花の際の思い出話とを覚書のようにスマホで書いた。
 6月29日の昼休み、前夜書いた日記と思い出話と覚書のような言葉とを文章にまとめ、「あの花屋さんのような人でありたい」というタイトルでnoteにアップした。ずうずうしくも、「エッセイ」というハッシュタグをつけて。


 今回書いた文章は、私がこれまでにこのnoteで主に書き続けてきた水道やインフラ関連の解説でもなく、地元の海産物を紹介するフードエッセイでもなかった。
 ただの日常の出来事と、思い出話。
 ツイッターでシェアしても反響は少なかったけれど、人数がどうであれ、読んでくれる人がいることが嬉しかった。「読んでもらえて嬉しい」というのは、今回のnoteに限らずいつも思っていることだけれど、今回は特に。
 閉店間際の花屋さんでサービスを受けたのは偶然とはいえ、三沢さんが亡くなったのと同じ6月に三沢さんの思い出話を書けて良かったと思った。そして、それを読んでくれる人がいることがありがたくて、とても嬉しく思っていた。


 そんな風に思っていたのだが。


 アップした翌日。
 noteの「#エッセイ 記事まとめ」に選ばれたという通知と、「今日の注目記事」に選ばれたという通知が届いた。

 noteを始めて以降、特に自分で書いた記事が「#フードエッセイ 記事まとめ」に追加されるようになってからは、仕事の昼休みにフードエッセイ記事まとめをチェックするのが日課になっていた。素敵な盛り付けの写真をながめ、美味しそうなツマミやお刺身の奥に写っている日本酒の銘柄を見て勝手に親近感を抱き、自分にも作れそうな簡単レシピが添えられていれば作ってみたりもしていた。この半年間、仕事に追われつつも楽しいおうち晩酌を継続できた原動力の何割かは、noteのクリエイターの皆様のおかげだと思っている。
 しかし、エッセイまとめは、見ていなかった。
 私は通知をいただいてはじめて「#エッセイ 記事まとめ」のリンク先を開いてみた。


 驚愕した。
 そこに掲載されていたのは、私が一方的にフォローしている岸田奈美さんや古賀史健さんといったプロの作家の方々や著名な編集者、そしてフォロワーが何百人もいたり著書が何冊もあるような人ばかりだった。


 焦った。
 やべぇ、無名の素人、アタシだけじゃん、と。


 考えても見て欲しい。仕事の昼休みに「読んでくれる人がいたらいいなぁ」と軽い気持ちでスマホからアップした自分の文章が、インタビューがネットニュースにも掲載されるようなベストセラー作家やその著作がテレビドラマになるような作家と同じ箱の中に入ることを。
 こんな展開、誰が想像出来ようか。
 しかもヘッダーの写真はアップする前夜、それも晩酌後に「明日noteにアップするのに、このお花の写真も撮っておこうっと」と軽い気持ちでスマホで撮ったものだった。ちなみに私のスマホは「まだそれ使ってるの?!」と驚かれることも多いレアな初代iPhone SEである。さらに、ほろ酔いでシャッターを押したので義父の遺影や部屋のあれこれが写り込んでしまい、アップする際には思いっきり拡大して誤魔化した。
 結果、「スマホ写真撮影の失敗例」としても使えないレベルのピンボケである。エッセイの締めに「誠実に仕事をすること」と書いておきながら、ヘッダー写真は誠実さのかけらも感じさせない雑っぷり。酷い。
 エッセイまとめに掲載されている他のライターの方々のヘッダー写真や画像とは雲泥の差だった。こんな展開になると分かっていたらせめてもう少し丁寧に写真を撮ったのにと後悔してももう遅い。
 しかも、私の焦りや後悔などどこ吹く風とばかりに、「スキ」のカウンターの数字がどんどん増えていった。noteの画面を見ている最中に数字が増えてゆくのを見たのは初めてである。ビックリして「ダッシュボード」を開いたところ、前日まで一桁だった今回のnoteのビュー(閲覧)の数がいつの間にやら5千件を超えていた。
 5千といえば我が宮城県でいったら女川町の人口に迫る数である。いったい何が起きているのか。


 そして、今日。
 私の「あの花屋さんのような人でありたい」というnoteの閲覧数は、私がそれまでに書いてきたnote全体の総閲覧数を軽く超えていた。

7/4現在、ひとつの記事で26,000超え。
女川町の人口を超えて驚愕していたのがいつの間にか角田市の人口に迫る勢いである。


 
 大きな反響をいただきはじめた当初は、驚きとともに、
 「私が書いた文章のせいで、花屋さんが過剰なサービスを求められるようになってしまわないだろうか?」
とか
「今回の私のエッセイは、亡くなった三沢さんの名前を売名に利用してはいないか?」
という不安が込み上げてきた。
 喜んではいけないんじゃないか、という思いがあった。


 けれど、それから少し時間を経た今は、自分の書いた文章が「エッセイ」として扱っていただけたことを素直に喜びたいと思うようになった。
 いや、喜びたい、じゃない。
 正直、めちゃくちゃ嬉しい。
 最初は驚愕・恐縮ばかりだったが、日が経つにつれて、じわじわと嬉しさが込み上げてきている。


 読んでくださった皆様、リンクを貼って紹介してくださった皆様、さらにはサポートをくださった皆様に、あらためてお礼を申し上げます。
 本当にありがとうございます。
 私には誰かを笑わせるような楽しい文章は書けないけれど、これからも、読んで欲しい・知って欲しいと思うことを書き続けてゆこうと思います。
 以前のnoteにも書きましたが、私のnoteの題材の基本は「水道・お魚・思い出話」です。水道水は安全だと知って欲しくて書くのも、東北の美味しい魚について書くのも、思い出話をまじえながら仕事への思いを書くのも、根底にある思いは同じ。

 「読んで欲しい」
 「知って欲しい」

 これからも、その思いで書いてゆこうと思います。
 「読みたい」と思っていただけたら、幸せです。

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