色は地味でも味は極上 今年もウニで至福の晩酌
「今、ウニ、採れないんだぁ!」
伯母は、残念顔でそう言った。
先日、義母と夫と3人で、石巻市の雄勝(おがつ)地区にある伯母の家を訪れた際のことである。
伯母の家は、雄勝のとある港から急な坂を上った一番上にあった。
坂を上り切った場所ゆえに車も走ることの出来る広い道路に近く、訪問するには便利な場所だった。しかし、昔は採ってきた魚などは船から家まで人力で運んで加工していたので、港から距離がある高台の住まいは不便なことが多かったという。特にウニなどは台車に山ほど積んで運ばなければならず、急な坂道を押しながら登るのには随分と苦労したらしい。
元気だった頃の義父は、姉である伯母を気遣って、そんな大変な作業をいつも手伝いに来ていたという。けれど石巻の自宅に戻ると、疲労困憊で大の字になって倒れていたのだと義母は笑う。
そんな思い出話を笑顔で語り合った後、しかし、今年はそのウニが採れなくなってしまったのだと伯母が残念そうに言う。
「採れないの?!」
驚いて義母が訊ねると、採れることには採れるのだが、売れるような状態のものが少ないのだと言う。
「色、悪いの!こーんなに割っても、売れるの、ちょびーっとだもの!」
こーんなに、と両手を大きく広げる。キロ単位の量のウニを採っても、商品として販売できるような色の良いウニは数百グラムしか無いらしい。
「暑かったせいかねぇ?」
「ホヤもダメだって言うもなぁ」
昨年来の猛暑の影響で宮城の養殖ホヤが不良だというニュースは、これまで何度となく目にしていた。海水温の上昇は、ウニにも影響を与えていたのだろうか。
「んだがらぁ」
伯母は、寂しそうにうなずいた後、
「んでも、味は変わんね」
と、立ち上がり台所へと向かう。
戻ってきた伯母が手にしていたのは、10センチほどの大きさのパックに入った塩ウニだった。
伯母は、そのウニを夫の前に無造作にポンと置いた。
「持ってけ」
「え?いやいやいや、そんな」
恐縮する夫。しかし、ウニは夫も私も義母も大好物である。
「美味(うめ)がら。味はおんなじだ。」
伯母はにっこり笑って言う。冷凍された状態のウニは、見慣れたウニの鮮やかな橙色を思えば、確かにやや黒ずんでいた。しかし、こういう色だと言われればそうかなと思う程度である。こんな些細な違いで、商品として売れないなんて。ブランド品となる品を生み出す仕事の厳しさを実感する。
しかし、雄勝ブランドの商品にならぬとはいえ、中身は雄勝のウニである。しかも採ってすぐに塩ウニとして加工し冷凍したものとなれば、美味いに決まっている。多少色が悪いハネ品扱いであっても、今時この量のウニを買おうとすれば、安くとも5千円は軽く超えるだろう。
「いや、おばちゃん、金払う」
「いがすいがす。持ってけ。」
いがすいがす、は、いいから遠慮するな、の意味でこちらの人達がよく口にする言葉である。
「いやいやいや。」
「いがら。け。(良いから食べなさい、の意)」
私も夫もお金を払おうとしたのだが、伯母は笑って決して受け取らない。恐縮しつつ、その場はありがたく頂戴して帰路についた。
帰宅後、早速いただいた。
「美味ぇぇぇぇ・・・」
夫婦二人どちらからともなく声が出た。美味い。口の中にふわりと広がる磯の香りと旨味。塩ウニなのに、甘い。濃厚なのに、塩辛さを感じない。美味いとしか言いようのない美味しさである。
ウニをひと口味わった夫がいそいそと台所に向かい冷蔵庫から持ってきたのは、その日、石巻からの帰り道に立ち寄った松島の「むとう屋」さんにて購入したばかりの宮城の日本酒だった。
どちらも、雄勝のウニとの相性抜群。
この日も、至福の晩酌のひとときを楽しんだ。
そういえば、去年は石巻のご近所さんから塩ウニをいただいた。
あれはいつのことだったかと過去のnoteを振り返ってみると、ちょうど1年前だった。
タダでウニをいただくというのはウニ好きの我々夫婦にはありがたいことこの上ないが、2年連続となると、さすがに気が引ける。
しかもどちらも、義父のおかげである。
義父のように親族や地域のために働いてはいない我が身を振り返れば、心苦しい。
来年こそは買って食べようと思うと同時に、亡き義父の人としての偉大さをあらためて実感する。
それにしても、こうして写真を見比べると、昨年のウニは確かに今年のものより色鮮やかではある。
けれど、美味しさは変わらない。
このnoteをご覧になられた方でウニが好きという方には、今年も宮城のウニを是非味わっていただきたい。
いや、宮城に限らず、各地のウニを、是非。
たとえ色は地味でも、ウニは、美味い。