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【エッセイ】晩酌写真と、苦い思い出。
※ 本エッセイは私の実体験に基づいて書いておりますが、個人情報等保護のため、職場等については一部改変しておりますのでご了承ください。
スマホの容量が足りなくなってきたので不要な写真データを削除していたところ、昔の晩酌写真が目に止まった。
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スライスしたタマネギの上に缶詰のイワシを盛り付けたものをメインに、塩茹でしただけの青大豆と、豆腐の上に山わさびの醤油漬けをのせただけの冷奴。お酒は秋田の刈穂のカワセミラベル。
「お酒のツマミに揚げ物系のお惣菜を買ってくる日が続きすぎてちょっと健康が心配、だけど料理は苦手という単身赴任中のお父さんが頑張って自分で用意した晩酌」というシチュエーションのように見えなくもない。
しかし
これはまぎれもなく、バツイチ・子無し・ひとり暮らしを満喫しながら仕事に追われていた2020年の私の日常である。
全国に先駆けて非常事態宣言を発令した北海道。しかも当時暮らしていたのは国内初のクラスター発生と大きくニュースで報じられていた地方都市だった。全国でマスクが買えずパニックになっていた頃、優先的に国からの不織布マスクがポスティングされた地域である。
買い物すらままならなかった日々。仕事からまっすぐ帰宅した私は、手を洗い、布マスクも洗い、そして速攻で風呂に入るのを自分のルールとして過ごしていた。風呂から上がれば翌朝まで家を出ることは無い。一人、好きな音楽やラジオを聴きながら、お気に入りの器で好きなお酒を味わい、自分のペースでゆっくり食事を楽しむのが日常だった。
すでに遠距離ながら交際していた今の夫になかなか会えない寂しさはもちろんあった。けれど、毎日欠かさず電話していた上、当時はPCで画面越しに顔を見て話すことも出来た。そのおかげでメンタルをやられることもなく、辛い時期を乗り越えることが出来た気がする。
身近な場所で感染症による死者が出ていたこともあり、感染症への不安は大きかったものの、「一人」でいることそれ自体は私にとって苦では無かった。
しかし。
見方を変えれば、早く家に帰りたい・一人になりたいと思うくらい、私にとって当時の職場で過ごす時間は苦痛になっていたとも言える。
仕事は好きだった。
職場も、もともとは大好きだった。
けれど、私の中に残る職場の記憶のうち2020年から退職した2021年春までに関するものは、苦い思い出ばかりである。
インフラ関連企業の総務課で中間管理職だった私は、深夜までの残業こそ無かったものの毎日1時間程度のサービス残業は当たり前だった。
特に、2020年は。
2月下旬からパンデミック対応が仕事に加わったこともあり、私はストレスまみれの毎日を過ごしていた。
そんな中、4月を迎えると、私の部署に新入社員が配属されることになった。
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