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映画「関心領域」の中から見えた、意識と無意識の境界線。

最近、もう本当に洋画を観なくなってしまっていて。
これは、完全に自分の偏見なのですが、
今の自分にとって、海外の映画から感じ取れるものは、
凄く少なくなってしまっているんじゃないかという。
そんな感覚が、ここ数年ずっとあるので、
何か意識的に避けてるような気がしたりもしているんですよね。

なので、この「関心領域」も、本当は全然観る予定は無かったんですよね。
でも、この作品を観た方の考察が興味深かったり、周囲の映画好きの後輩に、
「アレ、観ないんですか?」とか、「感想を聞いてみたい」とか言われたりする事があったりしたので、ちょっと興味が湧いて、劇場で観てきました。

こちらが、今作を観るきっかけとなった、chiaさんの考察記事です。
今作で描かれた、その場所が無意識に人物たちに与える影響、
その背景から聞こえてくる音の考察が興味深く、
それを自分自身でも体感したくて、映画館へ行ってきました。

なんだこれは!!
観ている間、自分は何を目の当たりにしているんだろうという感覚があって。
なんだか、領域の外側を、ただ傍観しているような感覚。
でも、その見えるモノに少しずつ違和感を感じ始めていて、
最後まで、その違いを感じたまま、観終えてしまったような、そんな印象でした。

エンドロールが流れる中、なんだか、気が滅入るような、
重々しい余韻がずっとあって。
暗い劇場に、灯りが灯って、ふと我に返るような、この感覚。

確か。
去年、京都のみなみ会館で、「福田村事件」を観た後に感じた、
その感覚が蘇ってくるようでもありました。

そして、やっぱり。
自分自身も、その領域の外に居て、いかに、今の自分が、
穏やかで平和な日々を送っているんだという実感。
でも、その領域の中では、今でも怖しい事が存在して、知らずに意識の奥底で、
その影響を受けているのかも知れないと、そんな事を考えさせられたりしました。

作中、殆ど劇伴らしいものが無かったけど、その内側の世界から聞こえてくる、音の表現にも、特筆するものがあったなぁと思います。
焼却炉の動く音、けたたましく吠える犬の声、銃の発砲音、奇声のような声。
庭園に咲く、美しい花々にしても、その背景で起こっている事実を透かしてみると、それすら歪な物の感じてしまう。
突然、警告音のように鳴り響く、不協な電子音。
やたらと長かった暗転。
そんな、映像や音の中に、観ている人に、考えるべき余地を示してるんじゃないかと、そんな風に感じたりもしました。

この作品を観て良かったのかどうか?
それは、観終わったばかりの自分の心中では、咀嚼し切れない所も多いし、
もっと色んな方の考察や、感想を聞いてみたいような気にもなりますね。

そう言えば。
少し前に、特殊詐欺グループ事件で話題になっていた、主犯格の通称・ルフィ。
その報道がTVのニュースで流れているのを、ふと目にした小学生の娘が知って、
ある日の夜に、

「ルフィが、家に来そうで、怖くて眠れない」と、言って来たことがあって。

自分では、そんな事はありえないと、わかっているし、
「バカな事言って」と、一蹴してしまうような事だったんですが、
こうして、無意識の中に在ったものを意識した瞬間、
それが、壁を乗り越えて、心に影響を及ぼしてくる。
そんな事もあるんだなぁと思った事を、思い出したりしました。

意識と無意識の中にある境界線。
それは、ふと身近な自分自身の周りにも、確実に存在していて、
何かのきっかけでそれが、表出することもあるんだなと。

この作品も、少し前までは自分の意識の外にあったんだけど。
ふとしたきっかけで、意識することになり、劇場に足を運んで観てきた。
意識する事が、行動や言動に繋がって、それが連鎖してゆく。
自分が知らないだけで、こうして世界も人々も動いているのかもなぁ。

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