#34 お金は ともだち こわくないよ!
【34日目】不動産賃貸の代理人が「なぜ日本人は予算の限度額を具体的に教えてくれない人が多いの?」と質問してきた。「代理人を信頼できない人が多いのかもね。日本人は騙される人多いから」と言うと「それではいい交渉できないよ」だって。ですよね。【本帰国まであと66日】
●
我々の不動産代理人は、中華系シンガポール人だ。日本語が堪能なので助かっている。
いつかの更新の際、オーナーが家賃の値上げをしたいと言ってきた。なんと月に500Sドル(当時のレートで40000円くらい)である。
近所の同等レベルのコンドミニアムの家賃を調べてみても、明らかにおかしな値上げ要求で、何が何だかわからない。
我々夫婦と代理人、三人で集まって、値上げ要求を呑むか、それとも出て行くかどうかを話し合う。
夫は「ちょっと、高いねぇ...」とため息をついて黙り込む。
代理人はこういうとき、日本人が黙っているのを、同じように黙って待つことに慣れている。
代理人は異文化理解力のある、立派なシンガポール男性だ。この男を味方に付けることができた幸運には感謝しかない。
しかし、なんだろう、この不当な値上げは。
何か理由があって、出て行って欲しいのだろうか。
それなら、はっきり言ってくるだろう。それがシンガポールの不動産賃貸における流儀だ。
黙って考え続ける夫。
待つ代理人。
「ハッピーワイフ、ハッピーライフ、シンガポール」の法則に従えば、ワイフの私がまず、どうすればもっとも自分がハッピーであるかを示すべきだろう。
無論、私はここにいたいと思うし、夫も同様。
ただし、家賃の値上げさえなければ、である。
いったいなんなのだ、この時間は。この場は。ものすごく腹が立ってきた。私は面倒なことが大大大嫌いなのだ。
「500ドルっていったら、一年で6,000だよ。急に、何があったの? 高すぎる。余裕で引っ越し代が出るよ。出るでしょ?」
「もちろん。」と代理人。
「じゃあ、私の意見としては、出て行くの一択だよ。だいたい、500ドルの根拠は何? 交通や買い物が便利になったわけでもないのに。こんな値上げは認められない。絶っっっ対に認められない!」
「交渉は出来ると思う。出来る。僕の仕事です。」
私の半ギレ具合に若干、ヒキ気味の代理人(笑)。
「いくらまでだったら、ステイの方が得かな? 300くらい?」
「300だったら、引っ越し代金と探す面倒と時間を考えて、イーブンだと思います。」
「じゃあ決まり。限界は300。それ以上なら出て行く。そう言ってください。」
「はい!」
夫はそこで、口を挟んできた。
「300って、はっきりと決めなくてもいいんじゃないかな...。」
「ダメ。いくらまで払えるのか、はっきりした数字がないと、代理人は全力で戦えないんだよ。そうでしょう?」
「そうです。その数字を隠しながら、うまく交渉します。」
いつのときだったか、代理人は仕事の悩みを話してくれた。それは、
「多くの日本人顧客が、予算の限度額をはっきりと教えてくれない」
ということだった。
「日本人は外国語がよくわからなくて、外国人に騙されてきた歴史が長いからね。お金のことをはっきりと言いたくないんじゃないかな。もともと、お金を汚いものと考える文化だから、お金の話をしたくないというのもあるだろうしね。」
代理人は「お金は汚い」という私の言い方に、フフッと微笑んだ。中華系の彼には、考えられないほど興味深い価値観なのだ。
「できるだけ家賃を安くして欲しいのに、限度額をはっきり言っちゃうと、その値段で決められてしまうって、ビビってんじゃないかな。代理人とはいっても、外国人だから、信用できないのかもしれないね。」
「わかりますよ。でも、僕は代理人です。家賃の交渉で、たったひとりの味方ですよ。信用して欲しいんです。信用するしかないはず。僕が限界の金額を知らないと、いい交渉ができない。たとえば5,000ドルの気に入った物件があって、4,000で借りたいとする。限界は4,500まで払えると教えてくれてたら、僕は4,000で頑張って、4,100で決められるかもしれない。でも、4,500払えると教えてくれなかったら、4,100で決められない。4,000でなければ諦めなければいけない。せっかくの気に入った物件なのに。僕は諦めたくないんですよ。交渉もせずに4,500で簡単に決めたりしません。」
聞いて見れば、なるほどそうだなと思う。
戦力を知らせずに戦わせるなんて、無茶だ。
日本人はいったいいつまで、この現実逃避と特攻をミックスしたような、意味不明な戦いの仕方を続けるつもりなのだろう。
「教えてください、ってソフトに迫ってみたら? それでもダメなの?」
「ダメでしたね。」
「じゃあ、いま、私に話してくれたことを、そのまま伝えてみたら?」
「言いましたよ。でも、ダメでした。」
わからない。なぜ多くの日本人は、お金の話に対して、態度が頑ななのだろう。この金融都市シンガポールに来てさえも。
「ここで値上げをして、私たちを追い出すメリットがあるとは思えないんだよね。夫婦ふたりで子どもがいなくて、ペットもいないから、汚したり傷つける心配がない。おまけに外にはクレーンが何本も立ってる。これからも1年は工事騒音があるとわかっているのに、借りる人はそうはいないよ。この後、2ヶ月でも空き部屋が続いたら、値上げした分はほぼパーじゃん。周りの家賃見ても、500上げたら借り手つかないよ。私たちを入れておいた方がメリットが大きい。」
代理人はうなずいた。
「300とはっきり決めてくれたからには、僕は戦えますよ。ありがとうございます。日本語でなんて言うんだったかな、そうだ、燃・え・て・き・た。」
私は代理人の日本語を穏やかに話す好青年の顔しか見たことがない。仕事をしているときは、中華語もしくは英語で丁々発止のやりとりをしているんだろう。
あまり見たくない気はする。
あまり見たくない気がするのは、私がやはり、マネーに関してあまちゃんの日本人だからだ。
ちなみに、値上げは100Sドルで収まった。500をふっかけて、100でも取れればよかったのだろう。
引っ越しが面倒だから出て行きたくないというのは、こちらの弱みだった。そこにつけ込んで100取ったのだから上出来なのではないか。
100で済んだのは、我々の代理人のおかげである。ありがたかった。
とにかく、家賃の値上げの話が来たら、落ち着いて周辺の同等レベルのコンドの家賃を調べることが大事だ。そして、限度額を具体的に決めて代理人に伝え、退去する覚悟をする。
今後はコロナの影響で、家賃は下がっていく。これは間違いがない。よほどの人気物件でもないのに強気の大家は、すべてハッタリだと思う。
ここで値上げの要求が来れば、それはただ「とりあえず言ってみよう。いいよと言ってくれればラッキー」くらいの軽い気持ちであって、本気ではないと思う。
日本人はお金の話をしたがらず、怒り戸惑いながらも値上げにOKする人が多くいるそうだ。
それは彼らの思う壺。代理人をしっかりと味方につけて、仕事をしてもらうのがハッピーライフの鉄則であろう。