#39 何もない空間を作ることで、男性は精神が整い、フルマックスのパフォーマンスが可能になる。らしい。
【39日目】ボウフラチェックの人たちが突撃してきて、必ず驚くのは、我が家にモノがあまりないこと。ベランダには何も置いてないし、チェックするものがない。「引っ越してきたばかり?・・・じゃないよね」「でも、いいわねぇ」と言って、帰っていく。【本帰国まであと61日】
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我々が借りているコンドミニアムは、東京で住んでいた物件の約2倍の広さだけれど、体感的には5倍くらいある。
特にリビングが広く、気持ちがいい。
まだ日本からの荷物が届く前、不動産代理人のKさんはだだっ広いリビングを眺めて、
「大きなソファセットを置いて、大きなテレビを置いて...いいですねぇ。」と私の代わりに夢を膨らませていた。
「ソファなんか置かないし、テレビも要らないよ。テレビは時間泥棒だからね。これを機会にテレビとは縁を切る。」
と言うと、驚いている。
「ええ? リビングこんなに広い、どうする? どうやって暮らす?」
「シンガポールのテレビ、ホントつまらない、みんな日本のテレビ見る」
代理人のKさんは、普段は日本語がうまいのに、動揺するとカタコトになるのだ。
「どうもしないよ。何も置かない。何も置かないことが、いい心を作る。パソコンのMacintoshのお店を知ってるでしょ? ああいうスタイルね。」
何も置かない・・・とくり返して、Kさんはうなずいた。
「本で読んだんだけどね、男の人はごちゃごちゃとモノが置いてあると、心が乱れて、仕事が出来なくなるんだって。自分では意識していなくても、心が乱れるの。男の人の脳味噌は、そういう特徴があるんだって。」
「東京の家でも片付ける努力はしてたけど、狭かったからね。シンガポールでは、こんなに広いところに住めるんだから、旦那さんのために、モノがない部屋にしたいと思ってる。」
「わかります。モノが少ないのは、気持ちがいいですよね。駐妻Aさんはここで、ヨガの教室をやればいいですよ。10人くらい、一緒にヨガが出来ますね。」
Kさんは、すぐに私の気持ちをわかってくれた。
スティーブ・ジョブズ氏の禅に通ずる思想は、圧倒的に普遍的なものなのだ。
あの空間の、理由の要らない気持ちよさ。人種性別老若を選ばない。
日本から和家具が届いたが、広いコンドミニアムには、もちろん釣り合わない。
しかし、釣り合わないからといって、それがなんだというのだろう。
コンパクトで美しい和家具は、これ以上ないくらいに十分なものだとわかる。
駐在員の生活は、いつ本社の都合で終わるかわからない。
できるだけ身軽にしておいた方が、何かと都合がいいに決まっているのだ。
シンガポールでは、デング蚊の繁殖を防ぐため、蚊の幼虫であるボウフラがいないかどうか、チェックする係員が突撃訪問してくる。
ヨネスケ氏と中原誠永世名人以外に、突撃という言葉を使う機会があるのがシンガポールだ。
ボウフラ一匹でもいれば、7万円くらい取られるらしい。
3年前くらいまで、外国人は甘く見えてもらえたが、今は一発アウトだそうだ。
コロナよりもデング熱の死者の方が多いのだから、当然だ。
私はベランダにはまったくモノを置かず、植木鉢には何も植えていない。
ボウフラGメンたちはいつも、部屋を見渡しては、
「引っ越してきたばかり?...ではないよね?」
と尋ねてくる。
微笑んで、うなずくだけにしている。うっかり話すと、英語がわからない可能性があるからだ。
「でも...いいわねぇ。とても、いいわ。」
女性の係員は、たいていそう言ってくれる。
みんな、モノに押しつぶされそうな日常には、うんざりしているのだろう。
シンガポールの男性は家事に協力的だとは聞くが、それは日本や中東諸国と比べた場合であって、シンガポール女性が言うには「男は、自分がやりたい家事をやるだけ」だそうだ。
まあ、仕事で疲れている殿方はそんなもんだろうし、専業主婦の私としては、それでいいと思っている。
海外駐在員として、毎日完全に燃え尽きて帰ってくる夫をサポートするのは、駐妻として、最高の仕事をするチャンスでもある。
今回は本帰国する運びとなったが、もう一度シンガポールで駐妻をやれるチャンスがあるとしたら、もっとやれると思うし、やってみたい。
前代未聞の、空前絶後の、シンガポール駐妻になってみたいと思う。
それがどういうものか、いまは完全には見えていないけれど、本帰国すれば、見えてくるだろう。
まだ#39なのに、#100みたいな結びになってしまった。
まあ、悪くないだろう。