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いつか必ず終わる時が来る
見えるもの、感じる物は、自分の心によって決まります。
始めはもっときつめのタイトルにしていましたが、少しだけ和らげなものにしておきました。
その言葉が、どのように見えて、どう聞こえて、どう感じるのか。
ネガティブなイメージを持ったなら、ここまで読み進めてはいませんね。
ここまで入れたのであれば、心はニュートラルなのかもしれません。
女心に似た空模様の季節が近づいてきました。
何事も、始まりがあって終わりがあるもの。
出会いがあれば、別れは必ずいつか訪れるもの。
変わることも仕方がなく、自分の心の声もしっかりと聞いてあげたい。
それは、いつか終わるこの人生の最後に、悔いを残さないためだ。
感情は生もので、鮮度の高いうちに受け取ってあげないと、後から取り戻せないものばかりとなる。
何のお話なのでしょう?
読み手の方々の中にも、ひとつの物語が生まれているかもしれませんね。
今回の私のお話は、「心との対話」による決断のようなものです。
いつも、理屈で考えて、心に正直に生きてこなかったことで、沢山の後悔をしてきました。
そんな経験は、誰もが持っていると思います。
私なりに、心変わりを感じていて、次のステージへと進むために、手放そうと決めたことがあります。
しばらくの間は、お別れってことです。
なんだなんだ?
どーした?
気になりますね?
最近の私の行動を客観視してみて、変化を感じていることは
「野菜作りに飽きてきている」
ということです。
あんなに夢中になって、狂ったように無双していたこの数年間でしたが、自分の中で、「心変わり」のようなものを感じ始めました。
単純に、疲れて来ただけなのかもしれません。
けど、私が成し遂げたかったことは、野菜を作って売るだとか、それで生計を立てて行くだとかそういったことではなかったような気がしています。
私が欲しかった物は、「経験と知識」だったようです。
始めた頃は、自分で育てて食すという感動に喜びを覚えて、とにかく色んなことをやってきました。
もちろん、夢中になっている間は、それを無限にやっていられる感覚がありました。
それでもやっぱり、ある日突然に何かが終わっていく感覚になる日が来るんですね。
別に嫌になったわけでもないし、自分が間違ったことをしていたとも思いません。
たぶん、もうそのスキルは十分に習得したし、それをいつかどこかで役立てるために、今はその刀を鞘に納める時がきた。
といった感じです。
次のステージに進みたいから、新たな挑戦へ向かいたいからこそ、しばらくはお休みしたいのかもしれません。
何かを始めようと思ったら、何かをやめるしかない。
ガーデニングや家庭菜園を始めた時もそうでした。
他の趣味は全てやめて、とにかく没頭して、最終結論とも言える自然農法へと辿り着きました。
自然農法で検索すると必ず登場する福岡さんがおられますが、彼のドキュメンタリーを見ても、最終ゴールは農業ではありませんでした。
一般的にイメージする、戦後からの農業しか知らない私たちは、福岡さんの自然農法の動画を見た時には、その農法に注目して、衝撃を受けてしまいます。
ですが、そのストーリー全体をよく見てみると、注目すべきはその農法ではなく、そこで得た知識と経験を活かして、最後は砂漠の緑化活動で世界へ出て行くという物語になっているということです。
その時はわからなくても、「今」という時間に夢中になっていることが、いつかどこかの、まだ知らない何かにつながってるんだと思います。
だから、やめることも、決して悲しいことではない。
草花や、野菜や虫たちに感謝の言葉をかけてあげて、お別れを告げる。
「ありがとう」
「君たちがいてくれたおかげで、私は沢山のことを学んだ」
「学ばせる気もなくても、教わる気もなくても、夢中になればそれは全て学びとなった」
「今まで、ありがとう」
「またいつか、その時が来たら、一緒に遊ぼう」
そう心でつぶやきながら、私はまた新たな挑戦へと進みたいと思う。
何をやるかはわからないし、この先でどうなってるかなんてのもわからない。
毎日生きてたら、全てを忘れてまた新しい何かに夢中になっているに違いない。
それがまた、私の物語りを創り上げていく。
何年やってたかは覚えていないけど、この夏でもう、終わろうと思う。