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昔も今も、願いの本質は変わらないはず
田中光敏監督のティーチインを数日前に観た。
今まで何百、いや何千人もの人達と映画を作ってきた オトナのなんとも言えない渋い声である。
天外者が発表される前に監督のブログを拝見して、以前から市民の生の声に耳を傾け、映画を作ってきた方なんだな、と今更ながら感じた。
撮影にかかった期間は実際のところ1ヶ月のようだが、準備監督の映画に対する向き合い方、ポリシーが、どの作品にも裏打ちされている証拠が、監督のblogには日々記録されていた。
5.6年前からプロジェクトに参加され、皆さんと何度も議論を重ねて、下調べにわざわざイギリスにも行かれたこと。(脚本家も再選考したほどの力の入れ方)
ロケハンと五代友厚の足跡地、鹿児島や長崎などにも行かれ、縁があるであろう神社に参拝された事。 作るまでの準備に時間がかかった分、作品に対する思いが他のどの作品より深いのでは…とやや贔屓目で見てしまう。
まさに映画づくりで大切にしている、
【準備8割現場2割】 の言葉通り!
歴史の文献に残る五代友厚さんは、生麦事件から薩英戦争に発展した事件でどのような気持ちで行動したのか? そして、晩年に本籍を薩摩から大阪に移した理由は何だったのか?
現代に生きている私には、この様な一連の事件に、蟠りを抱いている人はほとんど皆無に見えてしまう。
それでも、現実は思うようにはことが進まない。
メディアで取り上げるには、様々な配慮が必要な事なのか?だから、武勇伝が広く知られていないままだったのかと、映画『天外者』を観るまでは私の疑問と不安はきっと拭い去れないだろう。
当時の薩摩藩の人達は、皆んながみんな藩を捨てた、と思っていなかった筈だ。彼は薩摩藩にも様々な殖産業を根付かせ貢献している。
○藩だとか○県だとか、もうそんな小さな垣根は取っ払って仲良く共存する世の中になってもらいたいものだと、約150年後の今でも、思う。 それが、
「実もいらぬ 名もいらぬ ただ未来へ」
五代友厚=天外者の決断が、田中光敏監督が選んだテーマの決め手となったように思う。
私的な考えはこのくらいに留めて、
映画『天外者』12/11 全国公開を 応援しな
がら 楽しみに待つとしよう!