社会貢献家
ボランティアする上での想い、心掛け、気づきなど、ボランティア参加する方は読んでいただきたいです!
1月半ばより3月半ばまでの2ヶ月間 石川県七尾市を拠点に活動させて頂きました。 この2ヶ月の反省と今後の為に書かせて頂きます。 常駐スタッフにより 被災された方々に元気になってもらう為に元気に活動されていた。 若者ゆえにワシらにはできない若者のパワーでいい空気感が流れていた。 しかし、全ての被災者さんがその元気についていけてたのだろうか? 周りが元気になって、取り残されてる感があった方はいないだろうか? 無理やりの空元気により余計に疲れてた方はいないだろうか? もちろ
3月11日で東日本大震災から12年が経ち13回忌を迎えた。 震災翌年夏、何かの運命により石巻を訪れ町が一つ消えた一面瓦礫の山を目の当たりにし、震災復興支援、復旧支援の現在の活動の礎となった。 その活動の原点石巻には3月11日毎年訪れ黙とうをさせて頂いている。 今回は福島県相馬市、双葉郡、宮城県石巻市、気仙沼に訪れることになった。 町にもよるがハード面においては復興が終わったかのような街並みにも感じてしまう。 しかしボランティアさん、現地の方々との集いの場所では、家族を
約10日間、福島県相馬に行き、災害支援を行ってまいりました! 今年の3月にM7.4震度6強の地震が発生し、近隣の山元町、新地町、南相馬でも被害が発出しております。 屋根は波打ち、瓦は落ち、家全体に歪みが出ており、解体を余儀なくされているお宅もあります。 住民さんのより屋根にプルーシートを貼られているお宅も多く見受けられます。 私は屋根をメインにブロック撤去など行わせて頂きました。 屋根にブルーシートを貼り白い土嚢で押さえているお宅が多いですが、白い土嚢袋だと弱く、発災
震災の津波で襲われた建物など震災遺構として後世に伝える為に保管している建物が各地域に存在している。 3月9日から15日までの間、宮城、福島を回らせて頂き、3月11日には石巻で黙祷。 その間、福島県浪江町の請戸小学校に初めて訪れた。 小学生、教員、約100名が校長の指示により、避難して全ての方々が命を守ることができた。 小学校は海岸線から300mのところにあり、日頃から教員での避難計画が立てられていたようだ。 地震が発生し教室などの机の下で収まるのを待ち、校庭での人員
【災害支援の継続化】 2012年から始まった災害復興復旧支援。 過去の災害において仕事の休みを作り、フレキシブルな働き方により、現地でお手伝いをさせて頂きました。 そして、昨年からの人吉での豪雨災害支援 熊本支援チームの協力で常駐することによって、住民さんとの信頼関係を作り、より安心感を与えてあげる事ができたと考えています。 しかし今回の佐賀や福岡、広島へ行って加勢したくても行けない状況にいたたまれない気持ちとなっております。 その為にも、飲食店開業し軌道に乗せ、店主
今日も店舗の復旧作業。 白や黒、赤いカビが生えた壁板を剥がして、ビスを抜く。 リフォーム後は車椅子も入れるようトイレスペースも大きくする予定の為、トイレのドア枠も外す。 休憩中にご近所の美容師の方に声をかけられた。 いつオープンですか?と。 解体が増える地域にて、先日も近くの解体現場を淋しそうに見られていた方。 楽しみにしていますとありがたいことに支援金まで頂いた。 新しい店が出る事によって、街の方々も楽しみにされているようで、知らない誰かの笑顔の為に今日も一日頑張れま
クラファン40%まできました!! ご協力頂きました方々本当にありがとうございます!! さて本日は公費解体が近づいている住民さん宅の家財排出のお手伝い。 これでもかというほどの荷物があり、2トンダンプでゴミ集積所に3往復 このようなニーズはこれから増えてくるのかと思います。 そしてお昼はいつもお世話になっているサンホテルさんの日替りランチを楽しませていただきました。 笑顔食堂がオープンしたら市外から来られる方々の為にサンホテル×笑顔食堂でのお得なプランも考えていますので、
【人吉支援ご協力のお願い】 東日本大震災翌年に宮城県石巻市にてこの世の物とは思えない光景を目の当たりにして言葉を失った。 そこから震災風化防止の活動を続け、その後の災害でも現地入りし支援活動に従事してきた。 あれから10年。 昨年の熊本豪雨にて人吉での1年間の災害支援活動。 初めての常駐スタッフとして現地入りし多くの方々と汗を流し、現地の方々の力になることができたのではないでしょうか。 その間沢山の人吉の方々と触れ合い、この地に根付いた復興活動を行いたいと感じるよ
先日東京での仕事もあり、その足で熱海土砂災害地域視察へ。 ボランティアが現場に入り活動できるにはまだまだ時間がかかるもよう。 そして広範囲での災害。 本日は鹿児島方面へ。 人吉社協様にお繋ぎ頂き薩摩川内市と伊佐市へ。 よく浸水する場所で慣れていたり、保険に入っている為大工さんにお願いされたり、お店をスタッフさんで掃除していたりと、目立つ被害にはなっていないように感じた。 何かあればお手伝いに来る旨をお伝えして各地を後にした。 誰にも助けを求める事が出来ない方がいない
【令和2年7月豪雨災害支援】 朝から青井阿蘇神社へご挨拶。 人吉入りして毎月1日にお礼参りをさせて頂いていますが今回で12回目。 まもなくあの日から一年となります。 1年間皆様方のおかげさまで活動させて頂きありがとうございます。 その後は現在お手伝いさせていただいているお宅から出た廃材をゴミ集積所へ運搬。 先日頂いた一枚板を洗浄し、今後は鉋がけして素敵に蘇る予定。 そしてこれからの復興に向けての新しいご協力者とミーティングをした後、社協で毎週行なっている支援団体連携会
本日は継続して入っていた倉庫の消毒。 先日洗浄して綺麗にさせて頂き、今日消毒して完了させて頂きました。 住民さんにも従業員さんにも大変喜ばれ、最初見た時とは見違える程綺麗にさせて頂き大変満足しております。 ご協力いただきました方々には大変感謝しております。 ありがとうございました。 そして作業後は有力者の方と今後の人吉の復興についてお話させて頂きました。 過去の復興においても大きな力となった外からの人たち。 長い復興に向けて、外からの若い力をどれだけ人吉の復興に力を注い
ボランティアさんに指示するには表現が難しい場合もあります。 例えばブラッシングの場合、壁などを剥いで残った柱や木など使える場合はブラッシングをします。 それにも2パターンあり、ブラッシングして消毒する場合と、ブラッシング後に水で洗浄して消毒する方法があります。 ブラッシングして消毒する場合はとことんブラッシングしてピカピカになるまで磨きます。 しかし、洗浄をする場合はこびり付いたカビや泥を落としておけば後は水で洗い流すことができるのでとことんする必要もなくなります。
ボランティアにも色々なボランティアがあります。 災害後になると街を明るくする為に花を植えたり、災害後の心の傷を負った子供達に遊んでもらったり、災害と関係ないところではハッピーな人生を送ってもらう為の講演会などのボランティアスタッフ、町おこしマラソンのボランティアスタッフなども 私が一番メインで優先的に行っているのは、マイナスからゼロにするボランティア。 講演会やマラソンなどは日頃一般的ないわば当たり前の生活をされている方、僕は1と表しますが、その1を2や3にしてあげるお手
人生に迷ったら被災地に行け! はい!タイトルちょっとパクリです! 人生に迷ったら知覧に行け!という本がありますが、、、 そちらも是非お読みください! 私ももちろん、日本人として知覧には行くべきだと思います。 その他にも靖国神社、江田島、沖縄などの資料館、長崎、広島など平和会館、他にもパールハーバーや戦地となったレイテ沖など献花も行って来ました。 行った事がない若い人たちには行って欲しいし、連れて行ったりもしました。 真剣に受け止めて自分の人生を考えるきっかけにしてくれて
本日は先日洗浄を行ったお宅を抜けがないよう綺麗にさせて頂き、消毒し完了させて頂いた。 最後はボランティアさんが納得するまで綺麗に綺麗に! ここに関わって頂きましたボランティアさん、そしていつも応援、ご支援頂いています全国の皆様方に感謝申し上げます。 ありがとうございました。 しかしこの地域は川の湾曲部にあり、遊水池になるかもしれないと現在行政との調整中。 それもほぼ遊水池になるのではとお聞きした。 それでも住民さんはこの地域に育ち想い入れがある土地。 ここにリフォームを
本日より新しく倉庫の壁剥を行いました。 去年7月の発災後すぐに酒造のリフォームをして焼酎の仕込みに入った為、家、事務所、倉庫は手付かずのままの状態でした。 ようやく先月仕込みが終り片付けをこれから始めるという所を手伝わせていただいております。 自宅も壁を剥いだまま、床板はそのままにして事務所変わりとして使っており、2階での生活をされております。 倉庫、事務所を先にリフォームする為、自宅で元の生活に戻るのにどれだけ先になるかわかりませんが、少しでもお力になれるならこれから