トリチウムの健康被害について
■今回のテーマ
「政府や東電は、汚染水に含まれているトリチウムは無害であり「風評」が問題だとしている。これ自体、御用学者をも使った卑劣なうそだ。トリチウムはきわめて危険な放射性物資だ。」
■ ニュースの概要:「汚染水の海洋放出を決定」とはどういうことか
「日本政府は13日、東日本大震災で破壊された東京電力福島第一原子力発電所から排出されている放射性物質を含む100万トン以上の処理済みの汚染水を、福島県沖の太平洋に放出する計画を承認した。」
この記事によると、汚染水はろ過によって「ほとんどの放射性物質が取り除かれているものの、トリチウムなどが残存している」。「飲料水と同じ放射能レベルまで希釈してから放出する予定」だという。放出は2年後に始まり、完了までに数十年かかるとみられている。
・トリチウムとは
トリチウムは「三重水素」とも呼ばれ、質量数が3である水素の放射性同位体である。
環境水の中のトリチウム(独立行政法人 放射線医学総合研究所 宮本 霧子)
「地球環境中では,大気水蒸気・降水・地下水・河川水・湖沼水・海水・飲料水,そして生物の体内に広く分布しています。宇宙線が大気成分と核反応し,自然界でも生成しますが,核実験で地球上に多量に生成され,それが今でも環境中に残っています(フォールアウトトリチウム)。また原子炉の中でも生成し,その一部は,大気圏や海洋へ計画放出されます(施設起源トリチウム)。」
ベータ崩壊では、放射線としてベータ線(電子)とニュートリノが放出される。
・ベータ線とは
「ベータ線は、トリチウム(水素の同位体)、炭素14、燐32、ストロンチウム90などの特定の放射性物質の自然崩壊によって発生します。ベータ線は、そのエネルギー(すなわち速度)に応じて水中での透過距離は異なり、トリチウムの場合は1 mm未満、燐32では約1 cmです。アルファ線と同様、主な健康影響が生じるのは体内に取り込まれた場合です。」
「ベータ線(高速の電子)を例にとって説明しよう。電子は細胞の中を走る際に周囲の分子と相互反応してそのエネルギーを失う。この際周囲の分子に与えられたエネルギーは通常の化学結合を切断してしまうほど大きい。その結果、ラジカル(あるいはイオン)が生じる。」
「放射線による影響は、細胞の構成分子に直接ラジカルが生じることもあれば、放射線がまず細胞の70%を占める水分子に作用してラジカルを生じ、そのラジカルが間接的に細胞構成分子を攻撃する場合もある。ラジカルと周囲の分子との間の反応は極めて短時間に起こり、その結果化学結合が切断されたり、分子の「酸化」(酸素分子が付加される)が生じたりする。細胞における主たる影響はDNAの切断である。DNAは相補的な2本の鎖から成っているので、1本鎖だけの切断と2本鎖の切断の両方が起こる。」
1本鎖切断であれば「2本の鎖は写真のポジとネガの関係になっているので、傷の付いていない方の鎖を手本にして傷の付いた鎖を修復できる」。「ところが2本鎖切断の場合にはそうした手本がないので、修復は難しく誤りを伴なう確率が高くなる。こうした修復の誤りによって細胞に突然変異、染色体異常、細胞死が生じると考えられている」。
■争点:トリチウムは有害か無害か
前進記事で非難されている「御用学者」とは、例えば下のような記事を書く者のことであろう。この記事はGoogleで「トリチウム」を検索すると「トップニュース」としてヒットするページであり(2021年4月22日現在)、それなりに注目されているはずである。
この記事の論旨は、
1)トリチウムはトリチウム水として、人体を含む自然に存在する
2)核実験や原発によって発生したトリチウムの量も問題になる規模ではない
3)水とほとんど同質なので、汚染水からの除去が困難であると同時に、生物濃縮が起こりにくい
4)したがって、トリチウムを海洋に放出することは「海に塩を撒くようなもの」であり、「唯一起こりうる問題は、風評被害である」
というものである。
一方、トリチウムの生物濃縮を示唆する論文が複数発表されている(勝川に言わせればそれらは「世紀の大発見」であり、「水の中からエネルギーを無尽蔵に取り出す」可能性をもたらすととのことである)。
例えば、論文 Distribution of organically bound tritium (OBT) activity concentrations in aquatic biota from eastern Canada は、稼働中の原発から継続的にトリチウム水を注入されているいくつかの川や湖で、淡水ムール貝に含まれるトリチウムの活性濃度が歴史的に測定されてきた範囲を上回ったことを報告している。
また、論文 Accumulation of Tritium in Aquatic Organisms through a Food Chain with Three Trophic Levels には、「水生生物におけるトリチウムの蓄積は、次のようなモデル食物連鎖を通じて推定されました。トリチウム水(THO)→珪藻→ブラインシュリンプ→メダカ。」との記述がある。
ところで、福島 汚染水の海洋投棄許すな 沿岸漁民・漁業に壊滅的打撃 経産省公聴会で怒りが爆発(前進2018年12月10日号) には「政府・規制委はトリチウム水は化学的には単なる水で体内に取り込まれてもすぐに排出され、毒性は弱いと言ってきたが、「有機トリチウム」は他の放射性物質よりも毒性が強い」とある。
原子力資料情報室の伴英幸は講演 トリチウムの危険性 で、トリチウムはトリチウム水としてだけでなく、有機結合体トリチウムとしても存在することから、「生態濃縮がおこりうる」と指摘する。講演では、トリチウムの健康被害を示唆する2つの例が挙げられている。
1)ドイツ政府実施の調査では「原子力施設周辺の子供達の白血病が有意に増加して」おり、その原因がトリチウム放出であるという仮説が提起されている
2)カナダ型原発ではトリチウム放出量が多く、「下流域での白血病や小児白血病、ダウン症、新生児死亡などの増加が報告されている」
■所感
生態濃縮の有無については、政府側が安全性を強調する「トリチウム水」ではなく、「有機トリチウム」の存在がキーとなるようである。
毒性については、管見の限り、まだ「仮説」の域を出ていないようである。ただ、日本の労働者階級はかつての公害訴訟において「蓋然性説」を勝ち取った。これは従来の民事訴訟が原告に挙証責任を課す中で、国策・利権の見切り発車に立ち向かう人民がつかみ取ったブレーキレバーだ。
とはいえ、なりふり構わぬ利権政策がしばしば強行される新自由主義の下、核武装も見据えた一大国策である原発を法廷で止めることは容易ではないだろう。それはたとえ健康被害が科学的に「証明」されたとしてもである。結局、勝敗を決するのは支配階級と被支配階級との力関係だ。
ところで、前節では扱わなかったが、勝川記事には「反対派の言い分について検討してみよう」という節がある。
まず、「綺麗だというなら飲んでみろ」に対して、勝川は「この瞬間も多くの河川の水が海に流れ込んでいますが、それらの水のほとんどは飲料水としては不適格」であり「『飲めるかどうか』と『海に流して良いか』は別問題」だと応じている。これは、放射線と細菌を混同した詭弁である。「河川の水」は殺菌されて水道水やボトルドウォーターになるが、殺菌と除染とが技術的・コスト的に別次元の処理であることは勝川自身がよく知っているのではないか。
また、これは科学的観点からの記述ですらないのだが、勝川は「汚染水を政治家が飲んだり東京湾に流したりしても反対派は納得しない」(旨)ということを槍玉に挙げている。「安全だと言うなら飲んでみろ」というのはパフォーマンスの要求ではないし、「東京湾に流せ」というのも放出を認める条件ではないだろう。庶民や地方に矛盾を押し付けることへの怒りを、このように言葉尻を捉えて批評するのは悪質な挑発である。
以上から、「御用学者をも使った卑劣なうそ」の中身が大まかに見えてきたのではないだろうか