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広告でよく見るVtuberオーディションに受かったが地獄だった話

専門学校に入学後、学校にも慣れてきたところ、Instagramをしていると
一つの広告が目に入った。

Vtuberオーディション開催中の文字と募集中であろうキャラクターの絵だった

僕はvtuberになりたかった。

高校を中退し引きこもりと夜遊びの日々の中見つけ、密かに憧れていた。
昔、自分で立ち絵も依頼し始めようと思っていたがとっくの昔にあきらめていた僕の夢。

事務所のバックアップがあれば今度こそなれるかもしれない。

心臓の鼓動が早くなるのを感じた

僕はすぐlineの友達追加し、応募フォームに記入を始めた

年齢、住所、特技、1番になった経験…などスラスラと書き進めていた

しかし1つの記入欄で手を止めた

3分以上の動画のURLを記入してください(内容自由)

しかし話のストックは沢山あったので1番自信のある自分の生い立ちの話をその場で録音し始めた。

全ての記入が終わり送信ボタンを押した

正直、規模の小さい事務所だし…この僕が落ちるわけなんてない。
この頃の僕は慢心していた。

この時点でミスをしている事に僕は気づかなかった


数日後

「通知が来るたび受かったな?」なんてその気になってlineを開くけど
来るのは応募フォームの見直しの案内だけだった。

何度か見直しはするけど記入漏れもない。

しかしほぼ毎日応募フォームの見直しの案内lineは届いていた

オーディション締め切りまで1週間のところで、僕は自分の犯したミスに
気が付いた

応募フォームの最後小さく
「応募フォーム送信後に一言メッセージをおくらなくてはいけない」
と書いていたのを見つけた

すぐにメッセージを送信した
次の日の夜には面接審査の案内が届いていた

面談アプリの使い方がわからず10分遅刻はしてしまったけど、応募フォームのミスの話も絡め笑いにできたので結果的にはいいミスだったと思う

面談に入るまではミスの話、送った動画の話などをした。

「実は君、もう合格はほぼ確定なんだよね」

さらっと言われたのを今でも覚えてる

「じゃなきゃ応募フォームの見直しなんて、あんなに送らないよ」

正直うれしかった半面「当然の結果だ」なんて思っていたのを覚えてる。

その後合格通知が来てディスコードで運営と会議をすることになった

「君に担当してもらうのはこのキャラで…配信のルールで…」
なんて細かい説明を受けている時は何となく入学式を受けている気分になった

「そしてTwitterアカウントを作ってフォロワーを増やしといてくださいね」
なんて言われてその日の会議は終わった

正直困った

音声の投稿と立ち絵の投稿を禁じられていたからだ
配信の腕は正直自信はあったけどこの条件の中、自己プロデュースをして
人気になるのは無理だった

自分のスタイルとフォロワー数を天秤にかけ僕は
自分のスタイルを優先させることにした。

Twitterは放置することにした

運営から催促の連絡は来たけどキャラを守るためだと力説して
放置を続けた

1か月後同期の顔合わせ通話が行われた

そこが地獄の始まりだった

オーディションはかなり応募者が多かったらしい
その中生き残った人は、どんな声で、どんな人たちなんだろう…

ワクワクしていた

ぼそぼそ声で暗い人ばかりなのかな?

いざ通話を始めると全員いい声をしていたし知識も、戦略も、特技も、話術も、フォロワーも多かった
僕なんかよりすごい人たちがたくさんいた

周りの同期は皆、交流をしていて大体輪ができていた
最初に輪に入れなかった人間がどうなるかは、ネットによく書いてある通りだった

しかも基本20超えの人たちが多く当時19歳の僕は委縮してしまった

オーディションの話になった時
「ホントは≪投稿者≫君のキャラで応募してたんだよね」
場を回していた男が言った
この人はホントにすごくて運営とも仲がいいし
声もよかったし、一番フォロワーも多かった

「僕もです」
「自分も」
それ続いて他の男性陣が続いた

僕の担当キャラは一番倍率が高かったようだった

この場で一番若く、声もイケていなければ、話も出来ていない、
フォロワーの少ない男に見えない目線は送られていた

笑いに変えようと振り絞り即座に返事をした

大スベりした

そこからは「なんでこいつが…」みたいな雰囲気が流れていたのを覚えてる

誰よりも劣っている配信未経験者の僕は現実を知った

デビュー前に心は折れていた

ルール

フォロワー数のノルマを超えれたら人からデビューだった

同期はどんどん活躍していった

たまにデビュー前の自分も顔を出していた
意図せず引き抜きをしてしまった
ファンを奪っていたそうだ


運営はサポートはほぼなにもしてくれなかった
ただ「早くノルマ超えてください」とはよく言われた
この頃には自分のスタイルを捨てリスナーに媚びを売りフォロワーを増やしていた

この頃にはたまに同期が僕の話題を配信でしていた
ハードルはどんどん上がっていた

運営のサポートもないしこれなら変なルールもない個人でやった方がよかったな

このままデビューしてもやりたい企画はできないと知った

日がたつにつれて、自分の実力を信じれなくなっていた

同期が売れていくのはつらかった

また挫折してしまった

僕は配信もせず事務所から逃げた


オチも何もない自慢半分の痛みの作文です。
何となく当時を思いだしながら書いているので変なところも多いと思いますがここまで読んでくれた人がいたらうれしいです

今度は個人か大手で…なんて少し思うけど今年は就活を始める時期なのであきらめなきゃいけませんね


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