【17日目】通勤ストレスとわんこそば
令和2年年5月6日。
当時、日本では、緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。学校も休校。人も街から消えていた。
その緊急事態宣言の期限というのは、5月6日。そうGWの最終日まで。
当時は、まだゴールデンウイークという4月末から5月頭までの期間、祝日に合わせてに全国的に休みを取るというのが一般的であった。
その6日がとうとうやってきた。当然その前日までに延長が発表されており、この日はではいつ解除されるのかが議論されていた。
当時の大阪都知事が感染症で失う命と経済困窮による自殺により失う命両方があると強くコメントしていた。
どちらも守らなければならないということである。
ここからは信じがたい記録データだが、当時の日本の年間自殺者は3000人と記録されている。これがこの自粛により経済が破綻して自殺者が何倍にもなることが予測されていたのである。
今では考えられない数字である。
ここで、この時代の日本の自殺者についての記録も伝えておこう。
この時代の働き方というのは独特で、国民の精神状態はかなり悪かったと伝えられている。
まず一般的なサラリーマンと呼ばれた企業にのみ雇用された人々の生活は、1週間で5日はかならず会社が指定した日に勤務をしなければいけない。自身で休日を定めることは不可能だったらしい。また毎日同じ時刻に同じ場所、同じ規模の人間が一同に集まって始業開始をしていたようである。
この目的は特になかったというのが記録されている。
かなり拘束された異様な雇用関係であった。 あくまで雇う側に仕えるという上下関係が強かったようである。
そうなると必然的に一部の時間帯に電車の利用客が集中していたので、この通勤というものがこの当時の人にとって大きなストレスであったようである。
これもなぜ分散することをしなかったのかという理由は残されていない。恐らく、現代のように人を個として見るのでなく、集合体の一部であるという意識が強かったのかもしれない。また当時の人々自身も団体での行動でなければ不安だったという傾向もあると私は予測する。
義務教育についても一斉進学をしていた時代であるのだが、なんと大学卒業後の就職につても一斉就活、一斉入社が行われていたという。受験のようなシステムだと聞いたこともあります。
そういった背景からも、皆と同じに一緒に行動しなければ不安だという国民的感情が非常に強い時代だったのではないだろうか。
最近話題になった、わんこそば日本選手権の予選大会を全地域同時開催するか否かの問題からも、今もどこかでそういった面影は残っているように感じる。
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