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傍観者でいたい時もある

金曜日に有給を取り、ひっそり三連休を楽しんでいた。平日の空いているタイミングで東京タワーに登り、昨日は丸の内近辺を散策。
宝くじの当選が出やすいと噂の西銀座チャンスセンターものぞいてみたものの、何かのアトラクションですか?というレベルで長蛇の列ができており、結局今年も年末ジャンボは買わずに終わってしまった。

丸の内の洗練された雰囲気、だいすき。

今日はと言うと、昨日おとといとはうってかわって、ほとんどを家の中で過ごしていた。
朝から洗濯、水回りの掃除、部屋の片付けに買い出しからの作り置きの準備。
こういうとき、大抵YouTubeを流しながら作業をするのだが、それが結構至福の時間だったりする。

SNSの中で一番YouTubeが好きだ。
何故かというと、自分がただの傍観者でいられるから。
傍観者って、楽なのだ。
適当に聞き流して、興味のあるタイミングだけ注視して、仮にネガティブな感想を抱いたとしても、それをコメントで書かない限りは絶対相手に伝わらない。
良い意味でも悪い意味でも、普段だったら絶対に関われない相手の私生活や頭の中に、何の気遣いもなしに踏み込めるコンテンツであふれているYouTubeは、わたしにとってはとてもありがたいプラットフォームなのである。

考えてみると、対面で誰かと交流するって、意外と責任が伴うもの。
円滑にコミュニケーションをとるためには、やっぱり配慮は必要だし、角が立つような反応は出せない。
目の前にいる人の話を ながら聞き なんてもってのほかだし、相手の表情や声色はもちろん、ニュアンスを汲み取るためには言葉の裏にあるバックグラウンドまで想像することも、時には必要となってくる。
そう考えると、主体的に他人とコミュニケーションを取るって、瞬時に膨大な情報量をさばくことになるわけで、個人的にはとてつもなく気力を消耗する。こちらの反応を求められるって、結構しんどいときもあるのだ。たまになら良い刺激になって楽しいんだけど、毎日なんてとてもじゃないけどこなせない。

だけど、ここが我ながら面倒くさいところなのだが、自分以外の誰かの存在を完全に排除したいわけではなくて、誰かの声を聴き、考えに触れ、好奇心を刺激されるような瞬間は求めている。
要するに、わたしの暇つぶしの為に、わたしの興味ありそうな話を、誰かが勝手にしゃべっていてほしい。
言葉にするととんでもない要望だけど、そんな独善的な欲を一方的に満たすことができるのが、わたしにとってはYouTubeなのだ。
本当に良い時代である。

わたしがキッチンに立つと、すかさず足元にやってきて
おこぼれを所望するくろまめさん。


そんなわけで、今日も音声付きのvlоgを数本見つつ、作り置きをいくつか用意した。(といっても、平日に楽ができるように野菜を切ったり、副菜を作ったりと、その程度の話。)
先月はちょっと食費が高くなってしまったので、今月はもう少し抑えたいなと、本日レシートを整理しながら思いまして。
生活に関しては主体的に考えなければいけない。ということで、スーパーは週一回、が当面の目標です。
値上げにめげずに、明日からまた一週間、乗り越えていきましょう。

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30代からのシンプルライフ
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