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個人通信"Simple Dreams"1398号

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個人通信"Simple Dreams"               1398号
2024.12.8
石川 晋
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ぼくのnoteは1号だけの購入だと500円。月に4号は出ますが、月刊購読なら100円。どうぞ、単体ではなく月単位で購入してみてください、すぐ辞めてもいいですから、8号くらい(2ヶ月くらい)まとめて流れで読んでほしいなあと思っています。

今回は、12月2日(月)から12月8日(日)までの期間。

川村結花”native colors”。
授業づくりネットワーク『一斉・説明中心の授業再考』
奥山恵『多層性のレッスン』
山田剛輔『時間割から子どもと一緒に作ることにしてみた。』
江戸川区小学校(含「音や様子をあらわす言葉」ワークシート)
朋子の墓参り。
深谷市中学校。
軽井沢町幼保小中混在校。
琴寄政人さんのブログと旭川のいじめ事件と。
野口芳宏『教師人生を楽しむ』
ビッグイシュー。
アヌーナ&能(すみだトリフォニー)。
北海道の雑木林。シマエナガ。
ある偉人の死。

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12月2日(月)晴れ
 雪の旭川を出て、成田空港から都内へ戻る。うららさんが少し風邪をひいてしまったらしく、心残りなのだが、仕方がない。雪の降り始めの季節は本当に美しい。言葉が見つからない。

道北は雪のシーズンだ。

 ずうっと川村結花を聴きながら。いつだったろう、彼女のライブを多分、時計台ホールで聴いたのは。
 今日は、授業づくりネットワーク最新刊『一斉・説明中心の授業再考』が校了の日だ。編集部のお二人がギリギリまで頑張ってくださっていることだろう。今号も実に多様でおもしろい原稿がいっぱいだ。たくさんの人に手に取っていただきたい。

 今回は北海道から東京までの移動中に2冊の本を読んだ。
 奥山恵『多層性のレッスン 絵本・幼年童話・児童文学みちしるべ』(りょうゆう出版、2024)、そして山田剛輔『時間割から子どもと一緒につくることにしてみた。』(学事出版、2024)。
 どちらもとても面白い本だった。

 奥山の方は、児童文学がそして児童文学評論が「今」を「まだ」説明し得るということをそうっと差し出してくれて、勇気づけられる。ぼくも来年は久しぶりに評論を書いてみようかな、とそう思える一冊だった。
 奥山は言う。
つくづく多層性とは想像力だと感じる。多層性に近い言葉に、「多様性」もあるが、多様性は想像ではない。現実である。」
 学校をめぐる「多様性」言論がその言葉とは裏腹に内向的な袋小路に入りつつあることをしみじみと感じる日々の中で、奥山のいう「多層性」を学校を捉える新しい「哲学」に据えて考え直しを図ってみたくなる。

 山田の方は、序章で、彼が在籍する香川小学校の「通知表をなくした」についての思いがけない解説・説明がしっかり書かれていて少し驚く。山田がその決定のプロセスにどのくらいの影響を及ぼしたのかは、この本だけではわからない。が、山田の日本の学校教育現場におけるフルスイング実践の一つと捉えられる実践が、「通知表をなくす」ような学校土壌を背景にして紡がれているんだということはわかる。
 後段は実践記録だが、これまでのスタイルでの記録としては精一杯魅力的に書かれていると思う。関係者の苦労がよくわかる。一方で、多分「時間割を・・・」というような見せ方によって、山田実践の枠組みは「学校というところ」で一応完結しているようにも読めてしまう問題がありそうだ。つまり、山田実践の真髄は、本の後半に向かうに従ってどんどん開かれていくように、多分事実上学校と学校の外とをシームレスにするところなのである。そしてそういう実践を記録するには、何か新しい書き方を必要とするのだと思う。
 例えば、有名な鈴木正気の『川口港から外港へー小学校社会科実践の創造―』(1978,草土文化)を読んだ時に、歴史に残る大実践に感嘆した。一方でこれが「・・・へ」というように、学校の側から学校の文脈で、外へと目が開かれていく形で記録され続けているということにも意識が向いた記憶がある。「・・・へ」という言葉が端的に表しているそのベクトルは、本当はこの実践で起きていたことのある方向だけしか示していないのではないか、と。
 検索したら、石元周作さんが、鈴木実践を丁寧に解説している記事を見つけた。

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