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【感想】映画『いま、会いにゆきます』(ネタバレあり)
この映画を観たのは、おそらく3回目。
うち2回は小学生の頃、親と一緒に観た。
そして大号泣したことを覚えている。
感動系の映画には弱い母だけでなく、普段涙を見せることのない父も泣いていて、驚いた記憶がある。
原作者・市川拓司のベストセラー小説。
2004年に中村獅童・竹内結子主演で映画化された。
わたくし、久しぶりに号泣しました。
あらすじ
秋穂巧(中村獅童)はとある町で小学1年生の息子・佑司と慎ましく暮らしている。1年前に最愛の妻・澪(竹内結子)を亡くし、慣れない家事に悪戦苦闘する日々。
巧は脳内で化学物質が異常分泌される病気を抱えており、激しい運動や人混みを避けながら生活送っていた。
梅雨を迎えた6月のある雨の日、巧と佑司は散歩に出かけた廃工場で、死んだはずの澪と再会する。
澪は記憶を失っており、2人は二重に戸惑うが、そこからたった6週間の新たな共同生活が始まる…。
冒頭でも書いた通り、この作品を観たのは小学生ぶり。
それなのに、映画の冒頭に流れるテーマソング「時を越えて。」を聴いただけで目頭が熱くなった。
とても不思議な体験だった。
映画の内容は断片的にしか憶えていないにもかかわらず、曲を聴いただけでぶわっと涙が溢れそうになったのだ。
幼い頃に聴いた記憶が、当時映画を観て抱いた感情を蘇らせたのだろうか。
感想
※以下ネタバレを含みます。まだ映画を観ていない方はまずはぜひ映画を観てください。
今回は2つの点にフォーカスして書いていきたい。
(気が向いたら他にも追記します)
①巧と佑司の親子関係
佑司は父・巧のことを「たっくん」と呼ぶ。
母・澪がそう呼んでいたからだろうか。
普通子どもが父親のことを呼ぶとき、幼少期ならば「パパ」、それ以降は「お父さん」「父さん」などと呼ぶことが多いだろう。
父親のことを愛称で呼び、また巧もそれを受け入れているところから、友だちのように親しげな関係性が窺える。
佑司は、たっくんの病気のことを知っている。
正確には、なぜ病気なのか、どんな病名なのか、ということは知らないが、激しい運動をしたり人混みの中に行ったりすると体調を崩してしまうことを知っている。
そんなたっくんを気にかけ、お祭りに行きたい気持ちに蓋をする佑司。
もうこれだけで泣ける。
小学1年生ですよ!?!?
もっと自分の感情に正直で、やりたいことやりたくないことにわがままになってもいい年の子が、周りの友だちがお祭りのことで盛り上がるのを尻目に我慢しようとする姿。
父親のことを気にかけて、お祭りのことをたっくんには話さない強さ。
いい子すぎるて…
巧も佑司の心情を慮って、お祭りに行くことを提案する。
このときにも、佑司は第一にたっくんの体のことを気にかける。
「でも、たっくん大丈夫なの?」
(確かこんなセリフ)
巧は巧で、
「もっと普通に息子を楽しませてあげたい」
という気持ちを強く持っている。
自分が病気を抱えているばかりに、こんな小さな子に気ばかり使わせて、楽しい思いをさせてやれない。
そんなやるせない思いもあっただろう。
巧は「大丈夫だよ」と、お祭りに行くことを約束する。
当日、人混みの中で巧は倒れてしまい、自分に縋り付く息子を見て、より申し訳ない気持ちを膨らませただろう。。
やばい、思い出すだけで泣きそう。
②澪の心情の移り変わり
話は変わり、共同生活を始めた巧と佑司と澪。
澪は記憶をなくしているため、2人のことを1から知っていく日々。
初めはよそよそしかった澪だが、「ママ!」と健気に抱きついてくる佑司や、不器用ながらも寄り添ってくれる巧に徐々に心を開いていく。
澪は、自分が一度死んだことを知らない。
ただ記憶を失ってしまっただけだと思っている。
そんな中で澪は、巧に2人の出会いから佑司が生まれるまでの歩みを聞く。
この場面の澪はすごく可愛い。(急になに)
特に、再開したときの話を聞いた澪の照れているような、ときめいているような表情が印象的。
竹内結子さんの演技力だなぁ☺️
2人のなり染めを聞き、より距離を縮めていく3人。澪の2人への愛情の深まりを強く感じる。
ここは本当に幸せな描写だ…
しかし、澪は自らの日記を読んで、全てを知ってしまう。
自分はすでに死んだ人間なのだ。
梅雨の季節が終われば、2人とお別れしなくてはいけない…。
残された時間が僅かだと悟った澪は、急に佑司への家事教育を始める。
息子が自分のことを自分でできるように、母として教えてやれることは教えてからお別れしたい。
そんな澪の心情が伝わってくる。
(ごめん、ちょっと泣くね)
澪は、巧の職場の同僚の女性にも会う。
巧と佑司のことを頼みたい…と。
しかし、お願いしながら澪は涙を流す。
「巧さんが自分以外の人を愛するなんて嫌だ…」
(確かこんなセリフ②)
生きていく力に乏しく頼りない巧と幼い佑司のことを想って、苦心の中でお願いすることにしたのだろう。
それでも、自分がいなくなった後に、2人が他の誰かを愛することになるなんて想像もしたくない。
自分が一生隣にいたいのに…
そんなふうに言っているように見えた。
また、澪はケーキ屋さんに行き、12年分の誕生日ケーキを予約する。
そう、佑司が18歳になるまで。
実はこの映画、佑司が18歳の誕生日を迎えたシーンから始まる。
ケーキ屋の店主が巧と佑司の家を訪ね、佑司に誕生日ケーキを手渡すのだが、ケーキ屋の店主は「今日で店を畳むことになった」と告げる。
澪との約束(予約)を果たすために、意地でも今日という日まで続けてきたのだろうか。
澪としては、自分は7歳から先の誕生日を祝ってあげることができない。
それならせめて、毎年ケーキを送ってあげたい。成長していく佑司に、1年に一回の贈り物をしたい。
そんな心情だったのだろう。
伏線が回収されたとき、冒頭のシーンを思い出して、母の愛をより深く感じた。
自らの未来を知ってからの澪の行動は、残された2人を思ってのものばかりだった。
記憶がない状態からここまでの深い愛を育む3人に感涙を禁じ得ない。
まとめ
書きたいことが多すぎてかなり長くなりそうなので、とりあえずこれくらいにしておく。(何様)
今回は書かないことにしたけど、「いま、会いにゆきます」というタイトルの意味を知ったときの感動は半端ではない。
涙に鼻水が混じる。キタナイけど事実
本当に何回見ても感動が薄れない名作だと思う。
実際にはあり得ない設定かもしれないが、そんなことは重要ではない。
人が人を愛すること、家族を思いやることの素晴らしさと大切さを心の底から感じる、
そんな映画でした。