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寿ぎの場に似つかわしくないことを考える

 年始の恒例行事として開かれる業界の賀詞交歓会。

 今年も定番の会場に、多くの関係者が集まり、新年の挨拶を交わしていました。来賓も多く招待され、華やかな雰囲気の中、来賓や業界団体代表による挨拶や、来賓の祝電披露のアナウンスが続いています。

 開会の前には、関係者が新年の抱負を語り合い、名刺交換が行われています。日頃見知った人も少なからずいますが、こうした場で、久しぶりに顔を合わせる人も多く、和やかな空気が流れていました。

 僕も、周囲の人たちと挨拶を交わし、軽く談笑しながら場を回ります。料理や飲み物が並ぶテーブルには人が集まり、話の輪が広がっています。この場にいる誰もが、新しい年の展望を語り、前向きな気持ちでいるように見えました。

 しかし、ふと、ここで、昨年の元旦に起きたような、大きな地震が直撃したらどうなるのか、と考えてしまいました。

 会場のホテルは天井が高く、豪華なシャンデリアが輝いています。当然ながら、落下防止対策が取られ、やすやすとは落下しないかもしれませんが、もし今、突如として大きな揺れに見舞われたら、この場にいる人々はどう行動するのでしょうか。

 会社であれば、震災時の対応はマニュアル化されており、形式的ではあるものの、訓練も行われています。初動で多少の混乱はあるでしょうが、いきなり無秩序に行動する人が多く出るとも思えず、ある程度の秩序を保ちながら、状況変化に対応できると思います。

 しかし、この会場には、そうした指揮命令系統がありません。業界団体の代表者はいますが、全体の序列は定まっていないので、指示を出すにしても行き届かないし、強制力の裏付けもない。参加者個々の判断力が試されることになるのではないでしょうか。

 天井で巨大なシャンデリアが激しく揺れるのは、恐怖心を起こさせるのに十分すぎますし、大きな揺れの中、ガラスが割れ、照明が落ちてしまえば、やみくもに避難口を目指して人が押し寄せるかもしれません。

 ここにいるのは、普段は冷静な判断を下している人たちばかりですが、突然の危機に直面すると、果たして落ち着いて行動できるでしょうか。僕自身も自信がありません。

 混乱の中でも、自発的な態勢立て直しの動きが、人々を落ち着かせる小さな核を形成されれば、人々も心が落ち着くかもしれません。
誰が率先して人を誘導するのか、誰が冷静に周囲を支えるのか。日頃、リーダーシップを発揮している人でも、こうした場では咄嗟の判断ができないこともあるでしょう。逆に、普段は目立たない人が的確な指示を出し、周囲を落ち着かせることもあり得ます。

 こうした、立場や役割、序列が混とんとしている場においては、人間としての本質的な力が問われるのだと感じます。周囲の不安や動揺に心を乱され続けることなく、何とか状況を冷静に判断し、さらには他者への配慮の心を持つことが、結果的には自分も守る、これは実際、なかなかに難しいことですが、自分がそうした試練に直面する、とイメージしておくことで、少しは軽減できるのではと思います。

 そんなことを考えているうちに、壇上での長い挨拶、祝電披露が終わり、場を仕切り直しての、乾杯の発声が響きました。

 こうした寿ぎの場において、ある種「場違いな思考」を巡らせる自分に、ひとり苦笑いしつつも、今年も危機管理の意識を忘れずに過ごそうと、自分の心で決意を新たにしました。

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