鉄道ジャーナル休刊に寄せて思うこと
「鉄道ジャーナル」の休刊が発表されました。
雑誌の休刊は昨今珍しいことではありませんが、鉄道趣味誌の中でも特に異彩を放つ存在だったこの雑誌が姿を消すというのは、僕にとって少し寂しいニュースです。
鉄道がまだマイノリティーな趣味と見られていた時代から、鉄道趣味とは一線を画しつつ、鉄道政策や運輸行政に一家言を持つ独特の切り口で、記事を届けてくれた「鉄道ジャーナル」は、他の雑誌とは異なる価値を提供していました。
特に、編集長がコメンテーターとしてテレビ番組に出演していたこともあり、鉄道ファンだけでなく、広く一般の人々にも鉄道業界や政策の現状を伝える架け橋のような役割を果たしていたと思います。
しかし、その存在意義が揺らぎ始めたのは、個人で質の高い記事やルポを発信する人々が増えてきたここ数年の変化が大きいのではないでしょうか。SNSやブログ、動画配信といった個人発信のメディアが台頭し、速報性や深い分析が求められる時代では、「鉄道ジャーナル」が誇っていた特集記事スタイルが、やや周回遅れになってしまった感があります。
一方で、他の鉄道趣味誌との住み分けも注目すべきポイントです。「鉄道ファン」のような車両中心のマニア向け記事や、「鉄道ピクトリアル」のようなディープな特集を得意とする雑誌は、その独自性を活かして一定の支持を保っているように感じます。
実際、僕も「鉄道ジャーナル」を購入することはあったものの、記事の多くが時事性の高い内容だったため、読み終わったらすぐに手放すことが多かったです。一方で、手元に残っているのはやはり「鉄道ピクトリアル」のマニアックな特集号ばかりで、人口に膾炙していない視点からの深掘りの凄まじさという点では、鉄道ピクトリアルは大したものだと思います。
ただ、鉄道ピクトリアルの価値が理解できるようになったのは、大人になってからで、子供のころは、見知らぬ地への旅のあこがれもあり、鉄道ジャーナルを購入し、あるいは図書館で借りて読んでいました。
特に、種村直樹さんの「最長片道切符の旅」は、僕にとって鉄道の魅力を教えてくれた忘れられない連載でした。文章から伝わる旅の空気感や、当時の鉄道網の姿をイメージしながらページをめくる時間は、本当に楽しかったことを覚えています。
時代の流れは止められませんし、媒体が変わることで新たな価値が生まれることもあるでしょう。それでも、「鉄道ジャーナル」が持っていた独特の切り口や視点が消えてしまうのは惜しいと感じます。
僕にとっての「鉄道ジャーナル」は、ただの趣味誌以上の存在でした。これまでの歴史に敬意を表しつつ、社会派としての鉄道趣味誌の精神が、受け継がれることを願っています。