過去に生きる

 過去に閉じた世界の中で生活している人というのは、少なくないように思います。年齢を重ねると、だんだん新しい出会いや発見は少なくなっていき、人間関係も疎になっていき、知り合いも少なくなっていく。そういう傾向が強いように思います。だんだん世界が小さくなり、新たな空気が取り入れられなくなるので、入れ替えの少ない澱んだ空気の中で生活し、過去の良い思い出を友として生活できれば良いのですが、孤独感が強いと感情はむしろ悪い方向に向かい、過去の悪い思い出を一人で拡大生産するようになります。最近、身近にそういう人を見て、やり切れない思いを抱えつつ、自分も今後、老いていく中で、新しい出会いや発見をできるような仕組みづくり、いつまでも活躍し続けるビジネスモデルを持つことは、とても大事だと思いました。
 カイシャにおいても、数年間は同じように仕事していても、その後に大きな差が出来て、20年もすると同期とはいえ、全然違う立ち位置にあります。過去の遺産を食いつぶしているような仕事をしている人もあれば、常に新たな、より困難な課題の解決に取り組み、目標を達成し、その間に人間関係を深化させ、仕事のスキルを高め続けている人もあります。
 もちろん、その間に仕事以外で自分の力を高めることができれば、その先の人生において活躍することはできますし、今はむしろ、カイシャの仕事は効率よく片付けて、自分の随意にできる時間で副業したり、スキルを高めたりすることが求められていますので、カイシャ以外で活路を見出すこともできますが、よほどブラックな環境でない限り、一日でもっとも良質な時間を過ごすカイシャにおいて、重要な役目を担い、一定の敬意を受けて仕事をできることは、職責のプレッシャーと天秤にかけても、精神衛生上は良いのではないかと思います。
 話が仕事の方に行ってしまいましたが、高齢になってから、伴侶に先立たれて一人になってから、身軽になって自分の人生を楽しむ、そうした気持ちの切り替えをすることは、誰でもできるわけではなく、過去に生きることを選択したとき、澱んだ空気は人の精神を悪化させるのだと、他人の鏡を通して知らされる今日この頃です。

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